小学一年生の娘は、廃材が大好きだ。段ボール、牛乳パック、ペットボトル、紙袋、お菓子の箱、ラップの芯、包装紙、リボン…。捨てようかなと思うと必ず横から「それちょうだい!」と持って行ってしまう。そして、目をキラキラさせながら鼻歌交じりに想像した世界を形にしていく。
そう言えば、私も小さい頃は『見立て遊び』が好きだった。木の枝、葉っぱ、小石、泥団子を使い、日が暮れるまでおままごとをしたり、イメージしたものを作るために草むらに入って材料を集めたりした。その時間を思い出すと不思議と気持ちが満たされる。子どもだった自分も、きっと娘のように、思い描く無限に広がる世界の中でワクワクしながら生きていたのだろう。
大人になり、お金を出せば気軽にものが買えるようになると【時短・簡単・ラク】な方へと流さることが増えていった。だけど、廃材に向き合う娘の表情を見ているうちに【時間がかかり・難しく・大変な】ことへ目を向けてみようと思うようになった。簡単に手に入れた時には味わえない、幼少期のワクワクをまた感じられるような気がしていた。
まず、捨てようとするものを一度ジィっと見つめてみる。何に変身できる?何に使える?と立ち止まる。例えば、毎日の食事作りで出てしまうゴミ。畑で収穫した野菜の皮はスープの出汁や、畑の肥料へと循環させたり、玉ねぎの皮は色素を煮出してハンカチ染めをすれば、食育も兼ねた世界で一つのオリジナル作品になる。
捨てるはずのトレーは、餃子など冷凍保存する際に活用したり、野菜のヘタを水につけたりして「再生野菜」を作る時にちょうど良い。そう言えば、この夏は虫かごとして大活躍だった。
畑でも、さつま芋を収穫した際に残るさつま芋のツルは、きんぴら風に炒めるととても美味しいし、ツルをそのまま乾かしてリース作りにも活用できる。他にも、上手く育たなかった小さな玉ねぎは、土に埋めれば再び芽を出し葉ネギとして利用できる。
正直、再利用するためには時間がかかり、自分に余裕がないと負担だけが大きくなる。しかし、自分の手で新しいものに作り変えた時の喜びは、時間をかけた時にしか味わえない。自分のため、環境のために、できることをできる範囲で楽しんでいきたいと思う。
子ども達が大人になる頃は、今よりもっと手間のかからない便利な世の中になっているだろう。だからこそ、自分の描く世界に没頭できる「子ども時代」に、想像力を働かせ形にする喜びをたくさん経験してほしいと願う。心からワクワクした記憶は、大人になった自分をあたため、きっと支えてくれるだろう。そして、そのワクワクに目を向けようとする機会がきっと訪れることだろう。
部屋に置かれている娘の作品を眺めるたびに、再び想像する力をもらっている気がする。
*11月27日(土)BSNラジオ 朝10時~「立石勇生 SUNNY SIDE」で放送予定です。