
ここ数年、上越市にディグモグコーヒーというコーヒー豆の販売店をオープンしてから、頻繁に東京と上越を往復している。
車で往復することも多く、冬はだいたい、東京から長野市を越え、もうすぐ新潟県といったあたりから急に雪景色になる。
18歳で上京するまで、上越で暮らしていた僕にとって、冬といえばもちろん雪だった。
例えば、夜中にふと目を覚まし静かだと感じると、翌朝は一面の銀世界。一晩で30センチから40センチくらいの積雪ということもよくあった。それでも小学生の頃は、雪道を普通に学校に通っていた。上越の雪は水分が多く、道路の雪を消すのに消雪パイプのある道を通るから、足元はもちろん長靴が必要。上着は今ほど暖かくなかったはずのアウターを着て毎日出かけた。

そんな僕が当時楽しみにしていたのは、週末にスキーに出かけることだった。
上越市高田地域の小学生だった僕が行くスキー場は、湯沢や妙高のような大きなスキー場でもなく、近くの金谷山だった。金谷山スキー場とは日本スキーの発祥の地と呼ばれる場所。広いゲレンデのあるスキー場ではなかったが、高田からは気軽に行ける距離で、当時の僕にとっては最高の遊び場だった。
母に作ってもらったおにぎりを持って、リフトの回数券とジュースが買えるくらいのお金をもらっては、毎週末のようにスキーに出かけた。回数券は10回分の金額で11回リフトに乗れる。それを購入し、首から下げてリフトに乗り友だちと11回斜面を滑る。夕方帰る前にどうしてもまだ滑りたいとなると、斜面の隅からスキーを履いたまま上まで登り、滑ったりもした。今思い返すと、何がそんなに魅力的だったのか分からないが、ただ雪面を滑ることが本当に楽しかったのだろう。小学生ながら、雪のある生活の大変さもどこかで感じながら、雪があるからこその楽しさも満喫していた。
上京し東京で暮らし始めると、冬と言っても雪がないのは当たり前で、冬なのにスニーカーで歩けると、初めは喜んでいた。それでも時々東京にも雪が降ると、懐かしさなのか妙に嬉しくもなったが、電車が止まったり普段の日常生活ができなくなると、雪はない方がと思ったりもした。
そうして、雪のない東京での冬の生活が当たり前になっていた。
やがて娘たちが生まれ、時々降る東京の雪を子どもたちが無邪気に楽しむ姿を見ると、あのスキーの楽しさを体験してもらいたいと思った。
日帰りでスキー場に出かけると、最初はソリや雪遊びを楽しんでいた娘たちもすぐに「寒い」「疲れた」と言い出し、いそいそと車でまた東京に戻る。こちらもそれなりに疲れてはいるし、週末の道路は渋滞もあるので、スキー場への往復もなかなか大変だった。
季節は変わり、夏は海だと家族で湘南方面に出かけたこともある。こちらも道中の渋滞が激しいし、海に着いても人が多い。上越で暮らしていた頃、直江津や鵜の浜の海でも夏休みは人が多いと思っていたが、桁違いの多さだった。海で遊ぶことも、海の家での食事やドリンクも早々に切り上げ帰路に向かった。
高田に住んでいた子どもの頃、実は僕にとって海はそれほど近い存在ではなかった。だけど、それでも夏にちょっと泳ぎたいと思うと、海はすぐに行ける場所だったし、夏でなくても高校生になると友だちとバイクで気軽に行くのは海だった。
上越、いや新潟県内は、海も山も近い。少し車で出かけたらすぐに海だし、すぐに山だ。
頑張れば1日で海と山に行くことだってできる。そんな話を東京の友人に話すと驚かれることが多い。

真冬に大雪の時、雪かきの作業でヘトヘトになると、もう雪はなくても、なんて思ってしまうが、全くないのはやはり少し寂しい。
上越市の焙煎所でコーヒー豆の焙煎をしていると夏は暑すぎるし、冬はもちろん寒い。
最近は季節によっての気温の変化も激しいが、それをきちんと受け入れながら、山も海も気軽に楽しめるこの環境がずっと続いてくれたらと思う。

* BSNラジオ 土曜日午前10時「立石勇生 SUNNY SIDE」の オープニングナンバーの後に「はぐくむコラム」をお伝えしています。
1月31日は、「ハレッタ」のキャラクターデザインを手がけた、イラストレーターでアートディレクターの大塚いちおさんです。お楽しみに!
