「子どもの哲学」という学びをご存知ですか。
輪になって座り、疑問を出し合い、みんなで一緒に、じっくり考えを掘り下げる学びの時間です。子どもの哲学では、対話を通して異なる見方・考え方に触れることで、新たな発見をしたり、さらなる疑問を抱いたり、当たり前だと思っていたことが揺さぶられたりすることを体験します。
わたしは2004年からハワイ大学の大学院で子どもの哲学を学びました。2006年に帰国後、この教育を日本の学校で生かすことができないか、その可能性を模索してきました。初めの頃は、「子どもの哲学」に関心をもつ人はわずかでした。しかし、最近では「対話型の学び」に注目が集まっていて、子どもの哲学を取り入れる学校の先生も増えています。わたしは今、日本のさまざまな地域の学校の先生と共に、道徳、国語、社会などの教科のなかで、あるいは学級づくりの一環として、子どもの哲学の対話に取り組んでいます。
子どもの哲学の大切なポイントは、子どもたちの疑問を掘り起こし、そこから探究を始めることです。問いは、考え始めるきっかけをわたしたちに与えてくれます。
子どもたちは、問いに満ち溢れています。「人の性格が異なるのはどうして?」「どうやって最初の言葉はできたの?」「おばけは本当にいるの?」・・・子どもたちの問いに耳を傾けていると、世界が不思議に満ちているということを、わたしたちも思い出すことができます。
「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれている」。アメリカの環境活動の先駆け、レイチェル・カーソンは、著書『センス・オブ・ワンダー』の中でこのように述べました。カーソンは、「ワンダー」を”世界の神秘さや不思議さに目を見はる感性”と定義し、この感性は大人になると徐々に失われていくと語ります。ワンダーは問いの源泉でもあります。身の回りのさまざまな事象に心を向けるからこそ、みずみずしい問いが生まれてきます。
子どもの哲学という学びに携わるものとして、子どもたちの問いを大切にしたいと思います。しかしながら、問いに寄り添うということは、時にしんどいことでもあります。子どもたちから「なぜ?」「どうして?」とさまざまな疑問を投げかけられ、戸惑う経験をした人は少なくないのではないでしょうか。「そんなこと聞かれても分からない」「そんなこと考える時間はない」と、いらだちを覚えることさえあるかもしれません。日常生活のなかで、子どもたちのワンダーと向き合うのは、難しいことかもしれません。
しかし、もし、少し立ち止まって、子どもたちの問いに耳を傾けることができたら、そして共に考えることができたら、わたしたちは、新たな視点から世界を見ることができるはずです。子どもたちの問いは、大人たちが目を向けることのない世の中のさまざまな「当たり前」に光をあてます。当たり前のことを、「なぜ?どうして?」と問い返し、わたしたちの固定観念を揺さぶります。
ぜひ一度、子どもたちの問いに寄り添ってみてください。共に考えを巡らせてみてください。世界が不思議に満ち溢れている・・・わたしたちの中に宿っていたはずのワンダーが、少しずつ息を吹きかえしていくはずです。
BSNラジオ「大杉りさのRcafe」6月8日放送予定