こどもの頃の冬を思い出すと、その背景はほとんど雪だ。小さい頃の僕は、外でひとり、黙々と雪だるまを作ったり、時には雪玉を作っては投げたりして遊んでいた。ひたすら遊んで寒くなったら家に入ってお風呂で温まる。厳しい冬だからこその、その一連の遊びは、僕の冬の楽しみだった。
吹雪など悪天候で、外で遊べない時は、窓の外の雪を眺めながら部屋で遊んだ。コタツに入って横になり、そのまま寝てしまったりと、そんな記憶ばかりがよみがえる。外で遊んでいる時も、家の中の時も、その当時の冬の記憶を思い出すと窓の外は必ず雪…。そして、それは石油ストーブの温かさと香りを、同時に思い出させる。
18歳で東京に出てからは、住宅環境の違いから石油ストーブを使わず、エアコンなどで冬を過ごした。だから、時々地元の上越に帰ってきて、石油ストーブをつけると、その温かさと灯油の香りで、懐かしさと共に心までほんのり温かくなる。
東京で生活していると雪が降るのは、年に一度か二度。娘たちが小さな頃は、雪が降ると喜び、マンションのベランダや入口付近に少しだけ積もった雪を集めては、こどもの頃の僕のように、雪だるまを作ったり、ふいに雪玉をこちらめがけて投げたりしてくるので、一緒に遊んだ。
だが、そんな楽しい時間も、こども時代に多くの雪に囲まれて過ごした僕にとっては、なんだか消化不良だ。もっとたくさんの雪で遊びたい、もっとたくさんの雪で遊ばせてあげたい。そんな気持ちになる。そこで何度か都内から日帰りでスキー場へも出かけた。だけど少し遊ぶと普段、雪で遊び慣れてない娘たちは、すぐに帰ると言い出す。
好きでも嫌いでも無条件で冬の生活には雪があった僕とは違い、遊びとして少し雪と触れ合うだけでいい…、というのもしょうがないことだろう。
その後、雪の降る上越に家族で来たことがあった。自宅前が土手なので、そこを僕の父が雪を踏み固め、朝起きると娘たちがそこでソリや、雪遊びをしていた。娘たちが無邪気に遊ぶ姿を見ながら、僕は自分の子供の頃の姿をそこに重ねて見ていた。この子たちが大きくなった時、雪と共にこのような体験も僕と同じように記憶してくれるのだろうかと。
その後、父が亡くなり、冬に家族で上越に行くと、決まってその時の話が思い出話として出てくる。「おじいちゃんが踏んでくれた土手の雪でソリしたね。」とか「おじいちゃんと一緒にかまくらつくったね」とか。
おそらく、東京育ちの彼女たちにも、何らかのイメージが雪と共にきちんと記憶されているのだろう。
まるで、僕の石油ストーブの温かさと、香りの記憶のように…。
12月に、上越でコーヒーの焙煎所兼コーヒースタンドをオープンすることになり、最近頻繁に上越へ行く。”雁木通り”という昔ながらの作りの町家にその店はある。まだオープン前だが、時々スタッフがコーヒーを淹れているとあたりはその香りで充満する。香りと記憶はどこかで必ず結びつく。やがて雪が降り積もる頃、コーヒーの香りと共にこの冬が、誰かの記憶によい思い出となって残ってくれたら嬉しい。
11月23日(土)あさ9時からBSNラジオ「大杉りさのRcafe 」で放送予定