僕が小学4年生まで過ごした上越市の家は、田んぼや空き地に囲まれ、とてものどかな場所だった。初めて自転車に乗ったのも家の裏の大きな空き地だったし、ガラクタを集めた秘密基地を作って一人で遊んでいたのもそこだった。
4年生までと書いたのは、ちょうど5年生になる時に、道路の拡張でその家が立ち退きになり、別の小学校区の、今度は大きな川が目の前の新しい家に引っ越すことになったからだ。4年生というとちょうど10歳。生まれて10年間、僕はその最初の家で過ごした。
大人になり、幼い頃の記憶を思い出す時、「あれは何歳の頃の記憶だったのか?」と考える。僕はその最初の家以前か?それ以後?かで、それが10歳までの出来事だったのか、10歳以降の出来事だったのかを把握する。
この話は確実に10歳前のことだが、夕方、父のバイクの音が聞こえてくると嬉しくなり、仕事帰りの父を、僕は走って玄関まで迎えに行った。そんな記憶があるのも最初の家だ。幼い頃は誰でも感覚が敏感だと思うが、当時の僕にはそれが父親のバイクか、そうでないか、似たような音であっても、僕にはすぐ聞き分けられた。
次の家、つまり10歳以降になると、あまりその記憶がないのは、父を迎えに行っていた頃の自分と、「ああ、帰ってきたのか」くらいに僕が変わってしまった分岐点が、ちょうどその10歳頃だったからかもしれない。
父は大工をしていたが、父の兄弟3人で現場をまわしていたので、当時はお弟子さんを何人か抱えていた。ほんのしばらくの間だったが、その若いお弟子さんたちが、うちの2階に住んでいた時期があった。これは最初の家のわりと前期だから、おそらく5歳くらいのことだったと思う。2階の6畳の和室に男の人が3人くらいいた気がするから、合宿所のような雰囲気だったと思う。兄や姉がいない僕にとっては、とてもワクワクする期間だった。もちろんお弟子さんたちも仕事が忙しい時期だったから、一緒に遊んだような記憶はあまりない。だが、休日に、こっそり2階に行くと、読んでいた漫画を見せてくれる程度の他愛もないやり取りでも、新鮮で楽しかった記憶がある。
その合宿所のような期間が終わると、空いていた部屋を誰かに貸すということに両親が味をしめたのか、たまたま頼まれて断りきれなかったのか、今度は女性が一人うちの2階に下宿することになった。僕はその人を「2階のひと」と呼んでいた。
「2階のひと」は、市内にある高校の事務をしていた叔母の同僚で、その縁でうちに下宿することになったのだ。これは最初の家のやや後期だからおそらく8歳くらいのことだった。小学校低学年の男子にとってある日突然現れた20代前半の女性というのは、母親よりは近い感覚がしたし、友達よりはもちろん大人で、なんだか不思議な存在だった。だからか僕は、勝手に自分の話をわかってくれる人だと決めつけ、ひたすら毎日の出来事を話し、時にはふざけ、大笑いをしては、とてもいい遊び相手になってもらっていた。
時々、父や母とでは、なかなか行かなかっただろう場所にも連れて行ってもらった。
戦争の描写が怖くてしばらくトラウマだったが、「はだしのゲン」の映画に連れて行ってくれたのも「2階のひと」だったし、働いていた高校の学園祭に一緒に行き「隠し子ですか?」と男子生徒に冗談を言われた時は、意味も分からず横でニコニコしていた。
そんな日々は2年ほど(もしかしたらもっと短かったのかもしれない)続いた。しかし、楽しい日々を一緒に過ごした「2階のひと」とも、お別れの時は来る。転勤だったのか、正確な理由は覚えていない。
お別れの意味も寂しさも知らない小学生の僕には、友だちと遊んだ後のように「ああ、またねー」くらいに、明日また会えるような気持ちでいた。
その後、数年経ち、県内の別の市に行ってしまった「2階のひと」が久しぶりに会いたがっていると、両親から何度か聞いた。
その頃はちょうど思春期で、昔のことがこそばゆく、幼い頃の自分を知られているような恥ずかしさからか、僕はなんだかんだと理由をつけ会いに行かなかった。
今から10年ほど前だが、僕の両親も亡くなってしまい、県内に住んでいるだろう「2階のひと」の連絡先を尋ねる人もいない。僕の「いちお」という名前は珍しいから、今こうしてBSNのキャラクターをデザインしたことや、時々メディアに出ている姿を喜んでいてくれるのであれば嬉しいのだが。
親や親戚でもなく、学校の先生やスポーツのコーチなどでもない。特別なんの利害関係も持たない大人の人と、友達のように触れ合えた時間の中で得たものはものすごく大きかったと、この記憶を思い出す度に僕はそう思う。
* BSNラジオ 土曜日午前10時「立石勇生 SUNNY SIDE」の オープニングナンバーの後に「はぐくむコラム」をお伝えしています。
7月15日は、「ハレッタ」のキャラクターデザインを手がけた、イラストレーターでアートディレクターの大塚いちおさんです。お楽しみに!