前回「チェコのクリスマスマーケット」と題して、「WOMNA’S WORLD FLOORBALL CHAMPIONSHIPS 2025」に出場した娘の応援のためチェコを訪れた際、現地で出合ったクリスマスマーケットの華やいだ雰囲気をコラムにまとめました。今回は一転、滞在中に起こったドタバタ劇について綴ります。
チェコへの一人旅のために準備したiPhoneアプリは万全だった。
目的地までのルート検索に「マップ」「Google Maps」、会話や看板の翻訳に「Google翻訳」、電車やバスの予約に「Omio」、現地検索に「Google」、飛行機と宿の予約・確認に「Expedia」。

出発前にすべて予約を済ませ、「完璧!」と信じて12月4日に羽田を出発した。
13時間35分で経由地イスタンブールに到着。隣の席はスロバキア出身のご夫婦。3週間の日本旅行を終えた帰りだという。それも3回目。京都、福岡に行ったと日本語で話してくれた。
会話の始まりは、窓側に座っていた私が「綺麗な夜景ですよ」と声をかけ、撮影した動画をAirDropで共有したことだった。
幸先のよいスタートだった。

12月5日 2時間20分の乗り継ぎを経てプラハに到着。18時間35分の長旅。
ところが、空港でeSIMが設定ミスで使えない。
iPhone頼みで考えていたのに、ネットワークが繋がらないだけでこれほど心細いとは。
入国審査はどこへ行けばいいのか分からない。職員を見つけては聞きまくる。
Googleレンズで表示を確認できれば一瞬なのに、と心の中で恨み節。
――そうだ。保険で、もう1台のiPhoneにもeSIMを入れておいた。
起動。繋がった。
よし、これでホテルまで行ける!
…と思ったが、主要アプリをダウンロードしていない。Uberタクシーも使えない。宿泊ホテルの情報も出てこない。
チェコに着いて、呆然。八方塞がり。思考停止。

こんな時は、ベンチに座って深呼吸。
優先順位を整理する。
①通貨を円からチェココルナに両替
②ホテルまで行く
両替はできた。
そして、予約サイトからホテルの住所を紙で印刷していたことを思い出す。Uberの案内係にその紙を見せ、端末で住所を登録してもらい、ようやくタクシーに乗車。
デジタルは便利だが、アナログの保険は必要。痛感した瞬間だった。
ようやくホテルに着いたのは正午頃。チェックインは14時から。あと2時間ある。
それまでどこかで食事でも――とスマートフォンで検索をかける。だが、表示は遅いし、店もなかなか出てこない。何より寒い。長旅と緊張で、心はすっかり折れてしまい、近くのバス停のベンチで途方に暮れた。30分ほど「どうしようか」と自問自答。
結局、早いのは承知で、ホテルに戻って待たせてもらえないかお願いしてみることにした。
すると、フロント担当の若い男性がにこやかに対応し、そのままチェックインをしてくれた。

ロビーでWi-Fiが繋がる。それだけで世界が一気に開ける感覚がある。
アプリ越しのやり取りではあったが、地下鉄駅までのバスの乗り方、観光地への行き方、翌日のプラハ駅までのアクセス方法まで丁寧に教えてくれた。
デジタル翻訳を介した会話。それでも、伝わる温かさがある。
異国の地で冷え切っていた心が、少しだけ解けた瞬間だった。
12月6日 プラハ駅からブルノへ。初めての駅で戸惑っていると、日本語が聞こえた。親子の声。この掲示板は何を示しているのか。そもそも駅はここで良いのか。などを尋ねた。
「ここで大丈夫です。」
こんなにも「大丈夫です」が心強かったことはない。
チェコに住んで10年になるというご婦人だった。
しかしその後も試練は続く。
ホーム表示が直前まで出ない。
違うホームを歩いていたことに気づき、発車5分前に全力疾走。ギリギリセーフ。

さらにWi-fiが繋がったアプリから【1時間16分遅延】の通知。到着予定時間の13:46頃に到着駅で乗客の多くが下車するのを見て不安になり、隣のご婦人にアプリの表示を見せて、ブルノ本駅はここ?と指差し確認。頷いた瞬間、荷物を抱えて飛び降りる。冬なのに汗びっしょり。
あの【1時間16分遅延】の通知は何だったんだ? 便利さが不便さを呼ぶ。
「なんかこの旅、いろいろあるぞ。」
そう思いながらも、「ま、大丈夫でしょう。」と、どこか楽観的な自分もいる。
ブルノでの試合観戦後、時刻は22時。
ホテルまでのバスもトラム(路面電車)もアプリで検索したが、分からない。
距離5.6km。歩けば1時間の検索結果。
体育会の血が騒いだ。
坂道を下るルートだったこともあり、1時間10分で無事到着。シャワーを浴びて、寝ようとしてもアドレナリンが出まくって、その日は2時間ほどしか眠られなかった。
※夜中の一人歩きは危険です。くれぐれも真似しないでください。
12月9日 ブルノからオストラヴァへの移動日。9時出発。昨日のシミュレーションどおりバスが来る。そうしたら、男性から声をかけられる。
「英語は喋られる?」
『少しなら』
「どこに行くの?」
『ブルノの駅から電車に乗って、オストラヴァまで』
「駅まで行くから案内するよ」
と言ってくれたのは良いんだけど、Googleアプリを二人で見ていたら、違うルート・乗り換えの指示。どっちが良いのか分からないのでとりあえず付いて行く事に。
「チェコには何をしに?」
『娘がFLOORBALLの選手で応援に来ました。あなたは?』
「私はイタリア人で、チェコに恋人がいて会いに来ていました。これからイタリアに帰ります」だって。
駅に到着して、「さようなら、良い1日を!」でお別れして、電車に乗ろうと駅案内所まで行って、乗車番号を確認しても10:30発OSTRAVAの表記がない。そんなはずは無いので予約のチケットを確認。REJIOJET BRNO10:30→OSTRAVA13:35間違いない。うん?マークに違和感。「なんだこりゃ〜バスのマークだ!」ということは、同じREJIOJETでも電車もバスも運営していて、今回の直通はバスだったのかぁ〜。
オストラヴァへ向かう途中、隣に座った81歳のご婦人。
翻訳アプリを介して、娘のこと、家族のこと、人生のことを語り合った。娘、孫の妻、ひ孫と一緒に写った写真を見せてくれ「80歳の誕生日に撮ったのよ」と教えてくれた。アプリを介して途切れ途切れでもコミュニケーションが取れる。2時間ほどの時間、迷惑を顧みず続けた結果、「楽しい時間をありがとう」と言ってもらえた。
「こちらこそ、ありがとうございました。記念に一緒の写真を撮っても良いですか?」と思い切ってお願いしたら「いいわよ」と快諾してくれた。そして、「もうすぐお別れですね。チェコ語の「Děkuji(ヂェクイ)」を日本語で言うと【arigato】」です。と見せたら、
別れ際、片言で「ありがとう」と言ってくれた。
電車と勘違いしてバスを予約するという失敗も、この出会いがあったから帳消しだと思えた。

12月12日 13位決定戦。
対戦相手は、予選リーグで引き分けたオーストラリア。会場では、オーストラリア応援団が左側、日本は右側に陣取る。日の丸を掲げ、選手個人のタオルを並べ、準備は万端。日本から駆けつけた応援団はわずか7人。それでも声だけは負けないつもりでいた。

そこへ、思いがけない“援軍”が現れた。
地元の小学生たちが「Japan!」と声を上げながら、手作りの日の丸を掲げてやってきたのである。その数、およそ70人。
7人に70人が加わる。これほど心強いことがあるだろうか。
急いで小さな日本国旗を配り、応援のリズムを共有する。
「Let’s go Japan! Let’s go!」
掛け声に合わせて拍手が広がり、会場の空気が一変する。子どもたちは、試合中ずっと声を枯らして応援してくれた。日本が得点すれば飛び跳ね、守り切れば大歓声。まるで自分たちの代表であるかのようだった。
そして試合終了。日本の勝利。
子どもたちは本当に嬉しそうに笑っていた。担任の先生がわざわざお礼を言いに来てくださり、固い握手を交わす。勝利の余韻のなか、子どもたちと記念撮影。異国の地で、これほど温かい応援を受けるとは思っていなかった。
この日の応援は、間違いなく「最高の一勝」だった。
12月13日 帰国当日の朝、土曜日はトラムの運行が違うと判明。
2日間シミュレーションで3回ほど駅に行ったのは無駄だった。最終日までこれだからな〜。と呆れてしまう。

今日の絶対条件は9:10発のプラハ行きの急行電車に乗ることだ。急ぎ食事をとって、荷造りの後フロントへ行って、タクシーをお願いした。
ホテルスタッフに「日本からチェコに来て10日間。楽しかったです。FLOORBALLのチェコチームを応援しています。」と別れを告げる。
「幸せな時間を過ごしてください。」
そう送り出され、ホテルを後にした。
完璧に準備したはずだった。
だが、完璧な旅などない。
ネットが繋がらない不安。
間違えるホーム。
夜道を歩く不安と緊張。
それでも、
助けてくれる人がいる。
試合を応援してくれる子どもたちがいる。
「ありがとう」を共有できる人がいる。
デジタルに頼った旅だったが、最後に心に残ったのは、人とのつながりだった。
波瀾万丈。
不安も、焦りも、歓喜も、すべてを抱えた10日間。
それでも、最後に残った感情はひとつ。
――チェコに来て、よかった。

* BSNラジオ 土曜日午前10時「立石勇生 SUNNY SIDE」の オープニングナンバーの後に「はぐくむコラム」をお伝えしています。3月21日は、新潟県立大学学生部長 大学院 健康栄養学研究科 教授 人間生活学部 こども学科 教授の伊藤巨志さんです。お楽しみに!
