産業革命以降の技術の進展は、“自動車の出現”という画期的な変革を私たちの生活にもたらしました。特に地方に住む私たちにとって、車は日常の移動手段として欠かせないものとなっています。具体的には、東京駅から長岡駅までの距離を、ノンストップで歩くと60時間以上もかかるところを、自動車ならばたったの3時間半で到着することができます。これほどの利便性を私たちに提供してくれる自動車は、まさに驚異的な発明品と言えるでしょう。多くの人がこの便利さを失いたくないと感じているのではないでしょうか?
一方で、我が国は超高齢社会となり、65歳以上の人口が全体の21%を占めるようになりました。この状況に伴い、75歳以上の高齢ドライバーの中には運転免許証を自主返納する人が増えています。ニュースで「アクセルの踏み間違い」や「逆走行」による事故の報道を耳にするたび、加害者や被害者となるリスクが増しているのではないかと、多くの人が感じているかもしれません。
私は、本学の学部生にSDGs基礎を教えていますが、ゴール11の講義で「公共交通機関」の問題に触れた際、その流れで「運転免許返納」についての簡単なアンケートを行いました。質問は「高齢者の運転免許返納、賛成ですか?反対ですか?理由は?」です。8割の学生が賛成と答え、その理由として「交通事故の防止」や「死亡事故の減少」といった意見が挙がりました。1割強の学生は反対であり、主な理由として「重い物の運搬が難しい」「田舎では車が必要」ということでした。
学生の意見の中で特に印象的だったのは、「18歳から免許が取れるのは運転能力の観点からだ。同様に、高齢で運転能力が衰えるなら制限が必要」というものでした。確かに、自動車事故は年齢に限らず、無謀な運転や注意不足から生じる場合が多いです。しかし、社会全体として高齢者の運転に対する取り組みや認識を再考する必要があるのかもしれません。
運転好きとして、小型機や自動車、バイクに対する情熱を持っていますが、だからこそ、将来的に運転をやめるべきかどうか、真摯に考えざるを得ません。「自分は大丈夫」と自信を持っていても、年齢とともに来る認知機能の変化は否定できませんから・・・。
では、「高齢者は運転免許返納」と義務付けられれた場合、結果として何が起こるでしょうか?公共交通機関の利用が難しい地域に住む高齢者は、交通の手段を失い、孤立する恐れがあります。現在の道路交通法では75歳以上の高齢運転者に対して、免許更新時に認知機能検査が求められていますが、仮に「返納不要」という方針が採られた場合、交通事故のリスクが増大する可能性が考えられます
(免許人口10万人当たりの死亡事故件数 2020年までの減少傾向もその後は横ばい。警察庁まとめ)
一方で、SDGsが掲げる「だれ一人取り残さない」という原則に照らし合わせると、単純な免許返納の強制はその原則と矛盾してしまうかもしれません。このジレンマの解決策として、私たちが頼りにするのは技術の進展です。例えば、公共交通機関にアクセスできない地域の人々のための革命的な移動方法の提供、または完全自動運転自動車のような、事故のリスクを大幅に減少させる技術の開発が期待されます。
このような技術革新は、現代の困難を解決し、更なる持続可能な未来を築く鍵となります。本学の学生たちには、その未来を実現する先駆者として、日々の研究と学びを深め、先進の知識と技術を習得し、SDGsの実現に向けて活躍する人材として成長してほしいと願っています。
免許だけではありせん。私たちは、日常生活の中でどのような選択をすべきかを常に問い続ける必要があります。SDGsの達成には「対策」と「適応」の両方が不可欠です。例えば、もし車が使えなかったら、公共交通機関が利用できなかったら、私たちはどう対応するでしょうか?水が出なかったら?電気がストップしたら?「もし〇〇がなかったらどうする?」と自問自答することは、危機に直面した際の判断や行動に役立つかもしれません。
自然災害が発生すると、私たちが日常的に頼りにしている移動手段は利用できなくなる可能性があります。そのような事態を想定して、自宅から近隣の避難場所までの距離を歩いてみるのも良いと思います。私自身、スマートフォンのアプリで簡単に歩数をチェックできるのですが、「今日の歩数300」という表示を目にするたびに、車の便利さを感じながらも、たまには自分の足での移動を楽しもうと思います。車さんありがとう、でも今日は少し多めに歩きます!
* BSNラジオ 土曜日午前10時「立石勇生 SUNNY SIDE」の オープニングナンバーの後に「はぐくむコラム」をお伝えしています。
9月30日は、長岡技術科学大学 SDGs推進室員 勝身 麻美さんです。お楽しみに。