SDGs de はぐくむコラム

日本統治時代の痕跡を訪ねて 台湾の建築と歴史に触れる旅

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行動制限の緩和が進んだ今春、久しぶりに国内外各地を訪れる機会が続きました。2月中旬には、「集中講義」の形で、学生たちと台湾を訪問しました。敬和学園大学の担当科目「海外メディア事情(海外研修)」として、学生5人とともに、日本統治時代の痕跡を訪ねています(新型コロナウイルスの影響で長く開講できない期間が続き、ようやく実現できました)。先日発売された雑誌「Brutus」に「久しぶりの海外は、まず台湾から始めよう」というタイトルを見つけました。私のマニアックな台湾体験が、「まず台湾から始め」ようという皆さんにお役に立つかどうかはわかりませんが、いくつか今回の成果をご紹介してみます。

台湾には50年間の日本の統治の間に作られた多くの建造物が、いまも残されています。中には、日本の建築家が思う存分腕をふるった、非常にレベルの高い近代建築もあります。たとえば、台湾の総統府は、台湾のシンボルのような赤レンガの建物の一つですが、これはかつての台湾総督府です。この建物を設計した長野宇平治という人は、上越高田の出身の建築家で、現在も上越市内に墓所があると聞きました。

台北市内中心部、若者で賑わう西門町近くの中山堂は、日本時代には「台北公会堂」という建物で、1935年に上棟式が行われています。これもまた、戦前台湾の写真や映像に多く登場するランドマークですが、現在も当時の姿をとどめています。建物は地上四階建て、日本本土の公会堂と比べても、東京・大阪・名古屋につぐ大きさのものであったといいます。中山堂の外に出ると、「抗日戦争勝利曁台湾光復紀念碑」という、新しいモニュメントが建てられています。なぜここに?と思ってしまいましたが、実は、台北公会堂は、日本と中華民国との間で、降伏調印式が行われた場所でもあります。

中山堂は、新潟でいうと新潟県民会館。1964年に、新潟地震のあとに建てられた県民会館は、いまもイベント会場として健在です。台湾の中山堂よりも30年以上後輩の建物ですが、今後も県民に親しまれるランドマークとして、メンテナンスしながら、大事に守っていきたいという気持ちになります。

人々の生活により近い建物でも、日本統治時代の痕跡は残されています。南部の町高雄市には、哈瑪星(ハマセン/ハマシン)と呼ばれる旧市街地区があります。この地域は、初代高雄駅があった場所で、駅舎が鉄道博物館として保存されているほか、日本時代の建物が点在しているおり、山形屋という書店だったという、赤レンガの建物が有名です。高雄港の建設に伴ってできた街であり、近隣には倉庫街も残っていて、これをリノベーションした施設も芸術開放区、商業施設のならぶエリアとして、外国人観光客にも人気です。哈瑪星という地名の由来は、日本人が港に入っていく貨物線を「濱線」と呼んでいたことにあるそうです。今回私達は、高雄市内の取材時間が十分取れず、夜の哈瑪星を少し訪ねただけでしたが、次回以降またこのあたりの取材も企画したいと思います。

一方、台北では、観光名所の一つ「龍山寺」の近くに、戦前の市場をリノベーションした「新富町文化市場」があります。「新富市場」という現役の市場に隣接していて、最初ガイドさんにこちらに連れて行かれて少し迷いましたが、1935年に作られた市場の建物が、文化施設として保護されていました。この市場は、1921年に開設され、この保存された建物は1935年にできたものです。戦後「新富町」という地名は使われていませんが、市場の名前には「新富」が残りました。中には、市場のあった時代のことが展示され、当時の陳列棚も保存されていますが、中はカフェのような食堂のようなものがはいっているほかは、物販はとくに行われていません。一番人気があるのが、「中庭」のようになっているU字型のスペースで、ここで多くの人たちが写真をとっていました。私はうまくとれませんでしたが、インスタ映え(?)する写真がとれるようです。この建物のU字構造も、採光と換気が考慮されたもので、ユニークかつ機能的な建物のようでした。
新発田在勤の私からみると、この建物は「新富町」という名前(新発田市内にもありますね)ももちろんですが、1935年に建てられたというのが、非常に印象に残りました。1935年は、新発田大火があった年。新発田に現存する古い建物の多くも、この時期に建物の多くも建てられたのだと予想できます。

台湾に日本の建物が残された背景には、台湾の人々の複雑な心情がありそうですが、現在「歴史遺産」として大事にされていることはたしかです。私達の暮らす新潟にも、古くなって、あまり顧みられなくなっている建物があるでしょうが、なにをどのように保存し、継承していくのか。日本時代の建物を多く保存する台湾をたずねて、あらためて自分の暮らす地域のことにも、目を向けることができそうです。

台湾滞在の中では、学生たちは勉強以外でも、食べたり、遊んだり、写真をとったり、とにかく楽しそうでした。タピオカミルクティーの名店、スイーツの名店、ジーパイ(大きな鶏の唐揚げ)の名店など、屋台巡りのほかに楽しんでいましたし、夜はライトアップされた町並みや川などでもたくさん写真をとっていました。学びの合間に「楽しみ」を入れていった結果、行けなかったところもあるのですが、経験を積んだ次回は、自分の力でさらに、硬軟取り混ぜた、密度の高いを旅をしてきてくれるのではないかと思います。

参考文献
片倉佳史「台北・歴史建築探訪ー日本が遺した建築遺産を歩く」(ウェッジ、2019年)
片倉佳史・片倉真理 「台湾 旅人地図帳 ―台湾在住作家が手がけた究極の散策ガイド」(ウェッジ、2019年)

  

* BSNラジオ 土曜日午前10時「立石勇生 SUNNY SIDE」の オープニングナンバーの後に「はぐくむコラム」をお伝えしています。
4月22日は、新潟市在住 敬和学園大学人文学部国際文化学科教授の一戸信哉さんです。お楽しみに!

 

この記事のWRITER

一戸信哉(新潟市在住 敬和学園大学人文学部国際文化学科教授)

一戸信哉(新潟市在住 敬和学園大学人文学部国際文化学科教授)

青森県出身。早稲田大学法学部卒業後、(財)国際通信経済研究所で情報通信の未来像を研究。情報メディア論の教鞭を取りながら、サイバー犯罪・ネット社会のいじめ等を研究。学生向けSNSワークショップを展開。サイバー脅威対策協議会会長、いじめ対策等検討会議委員長などを歴任。現在:敬和学園大学人文学部国際文化学科教授。
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