新潟の田畑を潤してきた水。新潟の歴史は、水をめぐる人々の格闘の歴史でもあります。潟を干拓して田んぼにした地域、山をきりひらいて棚田にした地域、暴れ川と戦う中で金属加工業が育った地域。それぞれ事情は異なりますが、各地に水との戦いがあり、同時にその恩恵を受けてきたといっていいでしょう。
今回は、それぞれの地域が大事に守ってきた「水源」を、県をあげて大事に守っていこうという取り組み、「新潟県の名水」を紹介します。
「新潟県の名水」は、新潟県にある貴重な水資源を次世代に残していくために、地域住民による積極的な保全活動が行われている湧水や清流を、新潟県が選定し、共有するものです。現在68ヶ所が選定され、県のホームページに掲載されています。私は2016年から、県の担当課である新潟県県民生活・環境部環境対策課と協力し、この事業に関わることになりました。敬和学園大学の学生たちと各地の名水を取材し、映像作品にまとめる活動を続けています。これまで妙高市、十日町市、村上市、三条市の名水を訪問する機会がありました。
当初、依頼を受けたときの感想は「水が流れているところを撮影するだけならば、どこにいっても同じでは?」「水質についての解説を動画で作ってもおもしろくないのでは?」というものでした。実際、撮影に行ってみると、水の流れているところそのものは、どこに行ってもさほど変わりません。一般の人々がやってきて、水を汲めるよう、水汲み場を整備しているところもあれば、案内があまりないところもあります。また「滝」になっていて見ごたえがあるところもあります。でも、ほとんどは、「水が流れている」だけなのです。都市部で暮らす学生たちには、当初それだけしか見えなかったと思います。
行き詰まりを感じながら、なんとか取材の突破口を探そうと始めたのが、保全活動をしている地域の皆さんのお話をきくことでした。お話をきいていくと、ただ水が流れているだけに見えた名水には、地域の言い伝え、地域で利用していくため先人の努力、現在の保全活動、さまざまなストーリーが眠っていることがわかりました。都市部での生活しかない学生たちにとって、自然と共生しながら暮らす人々の語る内容は、とても新鮮なものに響くようです。地域の皆さんの少しなまりのある語り口もまた、強い印象を残しています。
訪問したところをいくつか紹介しましょう。
村上市山北地区、大毎集落にある、吉祥清水では、集落の上の水源から、高低差を利用して水を引いている仕組みを学びました。大正時代に、村の人々がお金を出し合って水路やタンクを作り、各家庭に水を流し込む仕組みを作ったそうで、現在も修繕を繰り返しながら各家庭に水がひかれています。
三条市下田の吉ヶ平は、昭和40年代に集団離村が行われ、すでに住民がいない地域です。かつての住民がこの地域の清水「城ノ腰の清水」の保存活動を行っていて、この水は吉ヶ平自然体感の郷の利用者や、登山客に利用されています。人々の暮らしを支えた「名水」が、今は別の形で、人々に親しまれています。吉ヶ平のように、住民がいなくなったところは多くありませんが、水源のある中山間地は、すでに高齢化が進んでいて、担い手不足はどこも深刻です。こうした「名水」が、私達の暮らしを潤す存在であるとしても、いずれその多くが、アクセス不可能なものになってしまうのかもしれません。
幸い、新潟県の積極的な取り組みにより、情報発信・情報共有が進んでいます。敬和学園大学の学生が制作したものを含めて、各地の名水を紹介する映像は、新潟県のYouTubeに公開されています。また新潟県では、ガイドブック「名水の郷 雪国にいがた」を制作し、現在、県内の道の駅や県立公園などの公共施設で配布しているそうです(結構人気があるようで、在庫切れの可能性もあるといわれました)。
学生や私が当初感じたとおり、「名水」は水が流れているだけですので、「行楽地」としては地味な存在かもしれません。しかし、新潟県内各地の自然を楽しみながら、それぞれの集落の歴史に思いを馳せて、そして名水を楽しむことができます。県をまたいでの遠出が難しくなる中、近隣への観光「マイクロツーリズム」が注目されるようになりました。「名水」めぐりはまさに「マイクロツーリズム」。米も酒もすばらしい新潟ですが、それもこれも、すばらしい「水」が守られてきたからなのだと、感じてもらえるのではないかと思います。
*5月15日(土)BSNラジオ 朝10時~「立石勇生 SUNNY SIDE」で放送予定です。