SDGs de はぐくむコラム

沖縄に「核」があった痕跡を訪ねて

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南部から北上し、歴史の地層を辿る旅

2026年2月、敬和学園大学の集中講義で、16名の学生たちと沖縄に行ってきました。授業での沖縄訪問はこれで二回目です。新潟で学ぶ学生たちにとって沖縄は、「早くリゾート気分に浸りたい」という解放感に満ちた場所でもあります。しかし、私たちの旅は、その華やかな青い海を一度横に置き、沖縄が歩んできた重層的な歴史を、南部から順に紐解いていくことから始まります(あとで、リゾート気分に浸れる場所にもいきました)。

まずは南部で、ひめゆり平和祈念資料館や「平和の礎」、新潟県の戦没者を慰霊する「新潟の塔」などを巡り、凄惨な沖縄戦の記憶を辿ります。その後、那覇から北上し、沖縄市「コザ」の街で基地周辺の社会が抱えてきた痛みや葛藤を学びました。そして今回初めて訪ねたのが、恩納村にあるかつての米軍核ミサイル「メースB」の発射基地跡でした。

1962年、核のボタンは押されかけた

恩納村といえば、今や日本屈指のリゾート地ですが、かつてここには中国を射程に収めた核ミサイルが鎮座していました。実は当時、沖縄県内にはこうした核基地が各地に点在していましたが、当時の建物がそのままの形で現存しているのは、現在はこの施設だけだそうです。ここは、沖縄にかつて「核」が存在していたという事実を物理的に確認できる、県内唯一の貴重な遺構なのです。
現在は創価学会が買い取り「沖縄研修道場」として整備されており、一般の見学も可能になっています。かつての「核」の拠点を「平和の発信地」へと変える試みが続けられており、敷地内では沖縄戦経験者が描いた絵画などが展示されていました。

ひんやりとしたコンクリートの空気の中で

核ミサイル基地跡の建物の中は、ひんやりとしたコンクリートの空気に包まれていました。そこで上映された映像では、1962年のキューバ危機に際し、この場所がいかに一触即発の緊張下にあったかが説明されました。米ソ両陣営の核戦争が始まってしまったら、沖縄からは中国に向けて核ミサイルが発射され、それに応じて沖縄も核の攻撃を受ける。米軍の兵士たちは、みんな、そのような絶望感のなかにあったといいます。
本土復帰前の沖縄に核が配備されていたことも、世界が核戦争の一歩手前まで行ったことも、冷戦後に生まれた学生たちには初めて聞く話ばかりだったはずです。真剣な眼差しで映像を見つめる彼らの姿が印象的でした。
さらに奥へと進むと、地下の司令室へと続く階段がありました。今回は老朽化のため、残念ながらその中に入ることはできませんでしたが、暗がりに続く階段を見つめているだけで、当時の緊迫した空気が肌に伝わってくるような感覚を覚えました。

南部で「沖縄戦」を学び、コザの夜の街を訪ねて、恩納村で「冷戦下の核」という事実に直面する。この北上するプロセスを経て、彼らの中の沖縄は、単なる観光地から、今も続く複雑な歴史の現場へと変わったのではないでしょうか。国際通り、美ら海水族館、アメリカンビレッジ。冬の新潟から出かけていくと楽園のように見える沖縄を楽しみつつも、そこに重層的に眠っているストーリーにも、目を向けて、平和について考える機会を持つことができた、4泊5日のスタディツアーでした。

 

* BSNラジオ 土曜日午前10時「立石勇生 SUNNY SIDE」の オープニングナンバーの後に「はぐくむコラム」をお伝えしています。3月14日は、新潟市在住 敬和学園大学人文学部国際文化学科教授の一戸信哉さんです。お楽しみに!

http://立石勇生 SUNNY SIDE | BSNラジオ | 2026/03/14/土 10:00-11:00 https://radiko.jp/share/?sid=BSN&t=20260314100000

この記事のWRITER

一戸信哉(新潟市在住 敬和学園大学人文学部国際文化学科教授)

一戸信哉(新潟市在住 敬和学園大学人文学部国際文化学科教授)

青森県出身。早稲田大学法学部卒業後、(財)国際通信経済研究所で情報通信の未来像を研究。情報メディア論の教鞭を取りながら、サイバー犯罪・ネット社会のいじめ等を研究。学生向けSNSワークショップを展開。サイバー脅威対策協議会会長、いじめ対策等検討会議委員長などを歴任。現在:敬和学園大学人文学部国際文化学科教授。
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