みなさんは「平和」と聞くと、どのようなことをイメージしますか。8月にアジア太平洋国際理解教育センター主催の日韓教員共同研修*1に参加し韓国へ行ってきました。韓国では、北朝鮮との国境に近い、北東部の江原道インジェ郡にあるDMZ平和村*2 に滞在し、ワークショップや日韓の教師が互いの教育実践を共有する機会を通して「平和」について考えました。
在来種を守る農夫を写したドキュメンタリー映画*3を鑑賞した際には、実際に監督から映画に込めた思いをうかがいました。グローバル化の進展とともに人間は自然を自分たちの利益のために利用するようになっていったこと、気候や食べ物の変化で私たちの体質は知らないうちに変わってきていること、大量生産から抜け出して食べ物の循環や自給自足を進めていくことを考える必要があることなど…。なんでも手にいれることができる世の中の豊かさとは裏腹に、失うものがたくさんあることに気づかされました。「種を守ることは正義である」という言葉にハッとさせられましたが、一方で、あまりになんでもあふれた現代の中で、自然と共生・共存していく「正しさ」を貫く難しさに葛藤しています。
また、オーガニック農業の体験もしました。採れたてのトマトはその場でスムージーにしました。ミキサーを回すために使う電気は自分たちで起こします。太陽光でピザを焼くこともできました。まさに「エコ」なクッキングです。これらは平和村で、小学生や地域団体や若い軍人たちらに向けて実施されている環境教育プログラムの一部です。こうした体験活動を通じて、気候変動とエネルギーの相関関係を学び、生活の中での省エネ方法や資源の有効活用方法を探求します。プログラムの先生が「変わりつつある社会の中で、事実を知ることが大事」と言っていたことがとても印象的でした。事実を知り、「地球規模で考えて、地域で実践をする(Think globally, Act locally)」ことが持続的な社会をつくる一歩なのだと教わりました。そして、最も大切なことは、「小さくて、美しくて、意味のあることをすること」だということも。無理をして、大きなことをしても長続きしないかもしれません。良いことをしているつもりでも、それが暮らしの中の文脈(ニーズ)と合っていなければ本当に「良いこと」なのかどうかは疑問です。明日からできることでいい、それはとても簡単なことでいいから理にかなったことをしよう、そして続けよう、それが未来の変化につながるのだ−わたしはそんな風に先生からのメッセージを受け取りました。
冒頭で「平和のイメージ」について触れましたが、もちろん争いがない状態は「平和」ですが、私は平和村で「平和とは、おいしいごはんが食べられて安心して眠れること」ということも学びました。平和村で食べる三食はどれもおいしく、その土地の野菜がふんだんに使われていました。肉を食べすぎず、均一的なインスタント食品は一つもなく、シンプルだけど丁寧な料理がいつも並んでいました。ある方は「ここにいると食べすぎてしまう」と笑って言いました。ある方は、「ここ数日は家にいるときよりもぐっすりと眠れる」と言いました。食は、体と心を健康にしてくれるのだということを実感しました。それと同時に、自らが「平和」であることが社会的な平和を創造する力にもなるのだということを考えました。
私たちは、さまざまな「つながり」の中で生きています。一人では生きていけません。だからこそ、他の命(人や自然、動植物など)と共に生きていく努力をすることが、「平和」な未来をつくるために不可欠なのだと思っています。
(参考)
*1 主催:アジア太平洋国際理解教育センター(APCEIU)、協力:日本国際理解教育学会・上智大学ESDプロジェクト。APCEIUはソウルにある国連のユネスコ機関であり、グローバル・シティズンシップ教育(世界市民教育)の研究拠点。APCEIUのウェブサイトに今回の研修の記事が掲載。(https://www.unescoapceiu.org/post/4881?ckattempt=1)
*2 Korea DMZ Peace-Life Valley Education Training Center
宿泊可能な研修施設。「青少年自然の家」に似た雰囲気。
*3 ドキュメンタリー映画―UNDER THE ZELKOVA(ケヤキの下で)2002年,韓国
* BSNラジオ 土曜日午前10時「立石勇生 SUNNY SIDE」の オープニングナンバーの後に「はぐくむコラム」をお伝えしています。
11月4日は、にいがたNGOネットワーク国際教育研究会 RING 企画副委員長の関 愛さんです。お楽しみに!