SDGs de はぐくむコラム

やさしさの味

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思い出の塩むすび

先日、今年度の新潟市食生活改善推進委員会総会で講演しました。総会参加者は170人を超え、久しぶりに対面で仲間たちに会えるということで、会場は活気に包まれていました。今回は、その講演で私がお伝えした話をみなさんと共有しながら想いを巡らせたいと思います。
私が若い頃の話です。美味しいものが大好きな教授と一緒に学会へ出向くことがありました。教授がマイカーで私の自宅まで迎えに来て頂いたので、恐縮しながら車に乗り込んだのを覚えています。いざ出発!というその場面で、祖母が玄関から追いかけてきて、握ってくれた「塩むすび」を持っていけと、私と教授の分を手渡してくれました。まだ若かった私はそれが恥ずかしくて、「ばあちゃん、やめてくれよ」なんて言ってしまった記憶があります。そして教授と私二人、車中でその塩むすびを食べながら学会に向かいました。

それから10年ほど経ったときでしょうか。一緒に学会に参加したその教授との何気ない会話です。「先生は全国各地で美味しいものを食べてきたと思いますが、これまでで一番記憶に残っている食事は何ですか?」といった話題になりました。先生の「そりゃ、あの時にあんたのおばあちゃんが握ってくれた塩むすびは忘れられないなあ。あれは旨かった」という答えが返ってきたのには驚きました。もう一度言いますが、全国各地の美味しいものを食べてきた先生から出た言葉が塩むすびです。祖母が握ってくれた具も入っていないただの塩むすびです。

食育の分野には“やさしさの味”という言葉があります。愛情を持った食事は味として感じるという研究報告から生まれたものです。相手から喜んでもらいたいという想いを添えて与えられるとそれが伝わるというのです。道中お腹を空かせてはかわいそうだとの祖母の想いが添えられたことで、普通の塩むすびが教授の記憶に残るほどの味になったのかもしれません。相手の意図を知覚すると体験の意味が変わるということです。

音も景色も味付けに変わる

そういえば先日、研究室の学生にも同じような質問をしました。「これまで一番記憶に残っている食事はなんだい?」と。学生の返答は「先生と一緒に阿賀町で食べたお弁当です」でした。それは春にその学生と気分転換でドライブをした時の話です。阿賀町まで足を延ばしました。途中、地元のスーパーでお弁当を買い、壮観な景色が見られることで有名な天女の花筏という展望台で食べたそのお弁当が、これまでで一番記憶に残っている食事だというのです。その話にとても興味が湧いたのでもっと深く聞いてみましたが、景色や太陽の光、風の音や鳥のさえずりが相まって記憶に残っているということが分かりました。この五感どうしが助け合いながら感じることを多感覚知覚といいます。味もそうです。味覚だけでなく食感や咀嚼するときの音も感覚です。これら全ての感覚が働いて美味しいと感じたりするのです。そして全ての感覚が作用しあっていることを多感覚相互作用といいます。おそらくその学生は、風、光、音など様々な感覚が作用しあって、スーパーで買った350円のお弁当さえも記憶に残る味になったのだと思います。

けして最高級の料理がおいしい食事・思い出に残る食事とは限らないということを、これら経験からも改めて感じました。

食べるという五感体験と共食の重要性

近年、子どもを取り巻く食環境課題のひとつに取り上げられているものに「孤食」があります。孤食とは独りで食べる食事のことを指しますが、この問題が子どもに与える健康への影響も大きく見過ごすわけにはいきません。実は大学生でも孤食が日常化しているように感じます。

コロナ禍前は、学生たちとはよく一緒に食事をしました。お世話になっている保育園ではお昼をいただくこともありました。みんなで食べる食事はやはり美味しいですが、それは共食効果だと思います。農水省では食育推進に資する科学的根拠をまとめていますが、共食と自分自身の健康感に関係があることが報告されています。一緒に食事をすることが、規則正しい食生活に導き、生活リズムを整えることも分かってきました。特に子どもにとって食べること自体が五感体験となり、その食体験が所与となります。ここでの所与とは、思考の働きに先立って意識に直接働きかける作用のことを指し、例えば子どもの頃の家庭の味がその人の味の基準となり、大人になってもその味を追い求める傾向があるのは所与によるところがあります。そしてその食経験が家族を想い、地域を想い、故郷を想うようになり、成人になってから生まれ育った地域へ戻りたいと思いが生じることも食経験が作用しているのかもしれません。そう考えると、食が人の人生に大きく影響を与えるといえそうです。

冒頭で記した新潟市食生活改善推進委員会のみなさんへは、今回のようなお話をさせて頂きました。参加された方々からは大きくうなずいては共感頂けた場面もありましたが、それは一緒に食事をするという当たり前の場面が大切だということを知っているからです。高級食材を使ったからといって記憶に残る食事になるとは限らないことをみなさんが知っているからです。読者のみなさんも、本コラムを読み終えたあとの余韻は、“当たり前のことが書いてあったな”で良いです。昨今はこの当たり前の生活場面が減っていることを受け止めながら、当たり前の食事ができるように、もう一度“食の場面”を振り返っていただけたなら、本コラムの役割を果たせたことになります。

五感で感じる食事を、家族や仲間と一緒に時間を過ごしてみることに改めて意識を向けてみてください。「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。肝心なことは、目には見えないんだよ。」なんてセリフが想い浮かぶかもしれません。

  

* BSNラジオ 土曜日午前10時「立石勇生 SUNNY SIDE」の オープニングナンバーの後に「はぐくむコラム」をお伝えしています。
6月4日は、村山敏夫さん のお話をお楽しみください。

この記事のWRITER

村山 敏夫 (新潟市在住 新潟大学人文社会・教育科学系准教授)

村山 敏夫 (新潟市在住 新潟大学人文社会・教育科学系准教授)

1973年 十日町市生まれ。新潟大学大学院修了。新潟大学SDGs教育推進プロジェクトに取り組み、SDGs未来都市妙高普及啓発実行委員会委員長、新潟市SDGsロゴマーク選考会委員長を担当。出雲崎町、上越市など地域と連携した教育・健康・パートナーシップの仕組みづくりも担う。
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