最近、小学生から高校生まで、通学時に日傘をさしている光景をよく目にします。子どもだけでなく、老若男女が日傘を外出の必需品にしています。わたしにとって、傘というと雨の日にさすことが普通でした。温暖化が進み、夏の暑さが危険レベルとも言われる昨今では、「『晴れの日に傘をさすことが普通』になってしまったのか」と感じると同時に、「普通」という感覚が社会状況の変化によって変わることに関心がわきました。
少し前に、中学校で、「普通ってなんだろう?」というテーマで特別授業をしました。「普通サイズ」「普通の格好」さらには「普通の日本人」や「普通の女性」まで、わたしたちの周りには多様な文脈で「普通」が存在します。しかしながら、「普通」とはなんでしょうか。普通とは、誰が(なにが)決めるのでしょうか。
授業の中では、「そう思う/そう思わない/どちらとも言えない」の三択で、「普通」について自分自身はどう思うか尋ねる活動も行いました。「目玉焼きにしょうゆをかけるのは普通だ」という項目では、「そう思う」派もいれば、「塩をかける」「ケチャップが好き」など意見は分かれました。この場合、「普通」という考えには個人の価値観や生活環境が影響していると考えることができるかもしれません。「女性が子育てや介護といったケアワークを担うことは普通だ」という内容では、ほとんどの生徒(10代)が、「そう思わない」と答えました。同じ内容を違う世代に問いかけたらどのような意見が出るでしょう。さらには、「日本人が日本語を話すのは普通だ」という項目では、「そう思わない」「どちらとも言えない」と答えた人が複数人いました。その理由は様々で、「今の時代、英語も必須だから」という意見もあれば、中には「日本語を話せない日本人もいる」と答えた人もいました。学校の中でも、多様なルーツ・背景をもつ人がいます。今ちょうどオリンピックが開催されていますが、日本代表選手の中にも日本語が母語でない方がいます。このように、互いに意見を発言し合うことで、自分の「普通」とは異なる視点から学ぶ場面も生まれていました。その後、「『普通』は誰(なに)によって決められるのか」という問いについて班で話し合いました。中学生たちからは、「世の中全体の変化」「世論」「多数派」「周りの環境」「育ったところ」「自分の理想」「第一印象」などの考えが出されました。先述の「日傘」の例は、「世の中全体の変化」に当てはまりそうです。ほかの場合はどんな事例が考えつくでしょうか。例えば、「多数派」によって決められる「普通」にはなにがあるでしょうか。
私たちは、「普通」とよく使いがちですが、もし「普通」がない世界になったらどうなるでしょうか。「『〜らしく』という言葉がない」「みんな意見が合わず、戦争になるかもしれない」「人によって考え方や価値観が異なり、意見にあふれて多様性にあふれる世界になる」など、中学生はこんなふうに考えていました。では、「普通」だらけならどうでしょうか。「『みんな同じ』に縛られて、自分の思うままに動けず自由なことができなそう」「能力や見た目、性格に差がないので、人生のほとんどが運で決まる世界になる」「違う意見同士で争いが起き、戦争が多発する」など、なかなか深い意見が中学生たちから出されました。「普通」のあるなしは極端ですが、少なからず社会の秩序(安定)は必要です。社会規範と多様性のバランスはどうやってとることができるのか・・・難しい問いですが、まずは私自身がしっかりと考えてみようと思います。
「誰かがみんなと違う意見であっても『普通じゃない』ではなく『その人なりの考え』と捉えようと思う」
「他の人と比べたり、わざわざ普通になろうとしなくてもいい」
「普通ってなんだろう/普通は誰(なに)が決める?」という問いに向き合った中学生たちの感想には、自己と他者を大切にする気持ちが表れていました。
* BSNラジオ 土曜日午前10時「立石勇生 SUNNY SIDE」の オープニングナンバーの後に「はぐくむコラム」をお伝えしています。
8月17日は、にいがたNGOネットワーク国際教育研究会 RING 企画副委員長の関 愛さんです。お楽しみに!