よく聞かれる質問に「子どもの頃、どんな絵本を読んでいましたか?」がある。しかし、この質問の答えにはいつも困る。というのも幼稚園で絵本を見てはいたのだろうが、実はそのほとんどを覚えていない。家に絵本があったという記憶も思い出せない。こうなると当時、本当に絵本を見ていたかどうかも怪しい。家で絵を描くのは好きだったが、そのモチーフはいつも、なんとかマンとか、なんとかライダーなどテレビもの。それも半分空想のデタラメな絵ばかり。家にある絵本をながめて、その世界に憧れて描いた絵というものは全くなかった。そのほかの遊びの記憶は、ほとんど外。家の裏を歩くと田んぼの用水路があり、そこで落ち葉を流して眺めたり、少し歩くと神社があったので、そこを秘密基地にみたてて一人で遊んだりしていた。冬はもちろん雪で遊んだ。
ここまで書くと、まるで絵本を否定しているように感じるかもしれないが、もちろんそんなことはない。たくさんではないが、子どもが生まれてからは、書店で時間をかけて選んだ絵本を買ってきたり、クリスマスや誕生日に気になる絵本を選んでプレゼントしたりもした。時には、読み聞かせをすることだってあった。簡潔な文章から、広がる想像力は無限で、絵から感じる何かが、子どもたちの想像力をかき立てている様子を身近に感じた。
幼い頃にそれほど絵本に触れてこなかった僕も、絵を仕事にしてからはたくさんの絵本を購入した。そもそも僕がイラストレーターになるきっかけは、絵本作家の長新太さんがコンペで選んでくれたことだった。これもなにかのご縁かと、長さんの絵本も何冊か所有している。海外の作品で言葉はわからなくても、気になるものがあれば購入した。僕の場合、お話の世界をそのままきちんと絵で描いたものより、抽象的でも想像を掻き立てるものや、ストーリーがナンセンスでバカバカしいが、その先に何かありそうな気配を感じるものなどを好んで選んだ。
自分でも、絵本を作ったことがある。以前、映画監督の是枝裕和さんがテレビの連ドラを作ることになり、そのドラマの中に出てくる“コビト”をデザインしたことがあった。せっかくならと、監督の文章と僕の絵でその“コビト”を主人公にした絵本を作った。タイトルは“コビト”の名前のまま「クーナ」という絵本だ。映像を操る世界的な映画監督と、絵を描いたりデザインに関わる僕。共に目で見る作品を作っている2人が、実在するかわからないコビトをモチーフに、「目に見えていることがすべてじゃないんだ」というテーマの絵本を作ったことは、とても面白い試みだったと思う。
ただ「もの」を描く、そんな絵本を作ったこともある。ものの絵本という幼児向けのシリーズで、僕はひたすらリアルに「もの」を描いた。ご飯、石鹸、スコップなど、幼児が生活のなかで出会うものをそのまま描いた。このシリーズは続編に「まる さんかく しかく」というのがある。どちらの絵本も同じように、「もの」をリアルに描いたのは、幼児が初めて見るものは、絵本のなかでも素直にその「もの」として分かってもらえるものがいいと思ったからだ。そしてその後の生活で実物を見た時に、絵との違いを、その場の空気と共に感じて欲しいと思って描いた。
「本物は、絵本で見てたより大きいんだ。」「本当は、温かいんだ。」「これは気持ちいいなぁ」など、もはや僕の年齢では感じられない素朴な感覚や、その場の臨場感は、かけがえのないものだと思っている。
映画や小説、そして絵本だって、何にでも手に入り、そのなかにある感動だって簡単に知れてしまう時代だからこそ、子どもたちには、出会った時の感動、その周りの空気から、無限の想像力でたくさんの感情を手に入れて欲しいと思う。
8月31日(土)9:00~BSNラジオ「大杉りさのRcafe」放送予定