はぐくむコラム

対話とコミュニケーション

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最近、メディアを通して「対話」という言葉をよく耳にします。国内外の政治において、わたしたちの社会生活において、子どもたちの教育現場において、さまざまな場面で「対話」の必要性が語られます。

では、「対話」とは一体、どのようなコミュニケーションなのでしょうか。わたしが取り組んでいる「子どもの哲学」という学びでは、「対話」を通して考えを深めることに挑戦します。子どもたちが輪になって座り、考えを述べ合うことで、異なる視点と出会い、疑問を抱き、新たな発見や深い理解を生み出していきます。「もっと知りたい、聞いてみたい」という「知の欲求」に身をゆだね、言葉の海を泳ぎながら、考えを深めていきます。こだわりがあって、議論ではなく対話という言葉を使っています。

 

わたしは「対話」を、「聞き合うことで理解を深めるコミュニケーション」として捉えています。聞き合ううえで大切なのは、もちろん相手の声に耳を傾けることですが、それだけではなく、自分の考えに執着しないということです。わたしたちは、他者の考えに対して即座に価値判断をする傾向があります。異なる意見と出会うと、それらを退けて、自分の考えの正当性を示そうとしがちです。しかし、対話では、異なる見方に対してオープンでなければなりません。

対話は、実はとても難しいコミュニケーションです。特に大人と子どもの間では、対話を阻害するさまざまなハードルがあります。その一つは、大人になるにつれ疑問にも思わなくなってしまった「世の中の当たり前」です。

6月8日親子てつがく対話ワークショップ

先日、BSNキッズプロジェクトの企画として、「親子てつがく対話」を行いました。一緒に考えたい疑問を参加者が出し合い、その中から投票で一つ選んで対話をしました。選ばれた問いは「勉強は、将来のためになるのか」でした。

大人は子どもに「勉強しなさい」と言います。でも、大人たちは学校で「勉強したこと」の多くを全く覚えていません。この問いを出した子どもは、いつか忘れてしまうのに、勉強することに意味はあるのかと、鋭い疑問を大人たちに投げかけたわけです。

この問いに対して、わたしたちは“NO”という立場、すなわち「勉強は将来のためにならない」という立場から考えてみることはできるでしょうか。大人たちは“YES”という答えを前提に、この問いにどう答えるかを考えがちです。しかし、この問いを選んだ子どもたちが考えかったことは、もっと別の次元にあったのではないかと思います。しかし、その次元に足を踏み入れるのは、とても勇気がいります。なぜなら、「社会の当たり前」、そして日々、子どもたちに言い聞かせていることを疑うことになるからです。

 

先ほどの問いからは、さまざまな疑問が連鎖的に浮かびます。

・「勉強が将来のためになる」って、例えばどういうこと?

・「勉強する」って、一体何をすること?

・学校に行かなければ「勉強」できないの?

・学校で勉強した方がよいと考えるのは、「義務教育」だから?

・将来のためにならない勉強ってある?あるとしたら、例えばどういうもの?

こうした疑問を掘り下げていくことは、子どもたちが多大な時間を費やす「勉強」の意味を問い直し、そこに新たな価値を見出していくことにつながるでしょう。

 

対話では、“当たり前”に固執せずに、“異なる可能性”を模索することが大切です。いろいろな考え方に身をゆだね、その先に見えてくる新たな意味に思いを馳せます。対話は、難しく、勇気も必要としますが、気づきや理解を与えてくれるとても大切なコミュニケーションです。

固定観念に捕らわれない子どもたちは、対話への扉を開いてくれる貴重な存在でもあります。もしも子どもたちから、「世の中の当たり前」を問い直す疑問や考えが投げかけられたら、立ち止まってその声に寄り添ってみてください。

「なるほど。もう少し聞かせて」と。

きっと、世界を新たな視点で見つめる機会を与えてくれるはずです。

この記事のWRITER

豊田光世(佐渡市在住新潟大学 佐渡自然共生科学センター准教授)

豊田光世(佐渡市在住新潟大学 佐渡自然共生科学センター准教授)

東京都出身。米国大学院で環境倫理と哲学対話を研究。帰国後、東京工業大学大学院社会理工学研究科博士課程を修了。佐渡をフィールドに、地域環境の保全に向けた話し合いと協働の場をデザインし、多様な主体の協働による環境ガバナンスのあり方について研究。各地で「子どもの哲学(philosophy for children)」対話による探究教育を推進。専門は、環境哲学、合意形成学、環境教育、対話教育など。
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