はぐくむコラム

ぼくと海

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僕が生まれ育った上越市。2歳のころ、城下町・高田市と港町・直江津市が合併してできた街だ。

旧高田市の出身だった僕は、”雁木”という家の軒先が連なる街の中でよく遊んだ。冬は金谷山でスキーをし、春の桜の頃には高田城址公園のお花見にも必ず行った。

だけど、夏の海はというと、遊んだ記憶がほとんどない。もともと高田と直江津は別の市だったくらいなので、小学生が自転車や歩いて海に行くには少し距離があった。夏の暑い日に、泳ぐのなら、”直江津の海”よりも近い高田のプールによく行った。大人になった今であれば、高田と直江津間は車で15分か20分かのわずかな距離。だが、子供には少し壁があったのかもしれない。

 

その後大人になって、小さかった子どもを連れて上越に帰省すると、夏はよく海へ行った。僕があまりできなかった「夏には海で遊ぶ」という体験を、自分の子どもたちにはさせたいと思った。両親が健在の時は、父と母も誘って一緒に海に行った。よく行ったのは大潟の海だった。子どもの頃、大潟町と呼んでいた隣の街は、16年前に合併し今は上越市大潟区になっている。 

上越市大潟区の海

近いとはいえない大潟の海も、車であれば高田から30、40分程度。程よい距離で、少しだけお出かけ気分も味わえた。大潟の海は砂の粒が少し大きく、砂まみれになってもすぐに払い落とせるのも、砂浜で遊ぶことに慣れていない娘たちにもよかった。大体、僕らは午前中に海に行き、軽くお昼ご飯を食べて、午後は海の近くの「人魚館」でプールや温泉に入った。子どもたちはプールとウォータースライダーで遊び、両親はのんびり温泉を楽しんだ。帰りの車で、子どもたちはうとうと眠ってしまうくらい、いつも全力で遊んでいた。海へのお出かけは毎年の夏休みの家族の楽しみだったが、両親も亡くなり、娘も中学生や高校生になると、自然となくなってしまった。

 

僕が子どもの頃、海水浴には行かなかった直江津の海だが、その後も全く行くことがなかった訳ではない。

高校生になり、原付バイクの免許を取ると、僕はただバイクに乗りたくてよく直江津の海に行った。両親は週末の早朝、直江津の港付近で時々、釣りをしていた。朝起きて両親がいないと僕はバイクに乗ってなんとなくその場所まで行った。その日の釣りの成果を聞いた後は、フェリー乗り場の”立ち食いそば”を朝ごはん代わりに一緒に食べて帰った。なんでもないことだが、そこが海だというだけで、気持ちよく、のんびりとした家族のいい時間だった。

秋や冬、シーズンオフには、バイクで友達とよく海に行った。高校を卒業し上京した後も、帰省すると、仲間と出かけるのも直江津の海だった。特別、何かをする訳でもなく、ただ海を眺めては、なんでもない話をする、そんな時間を過ごした。

海を見るウェルモ

 直江津で海水浴の体験はないが、そんな海の記憶は僕にとって大切なものになっている。海の潮の香り、少し湿った風や波が作り出す独特のリズム。それは日常の疲れや不安から僕を自然にリセットし、新たなエネルギーを与えてくれた。

 そんな海の効果は偉大だ。

絶対的な効果ではないかもしれないが、気持ちが沈んだ時、海の存在が浮かぶだけでも何かの助けになるかもしれない。

日々の暮らしで悩んだり、疲れた時にふと、海に行きたくなる。

子供たちも大人になって、幼い頃の海の体験や記憶が、いつかそんな海に出かけるきっかけになってくれたら嬉しい。

 

この記事のWRITER

大塚いちお  (東京都在住 イラストレーター・アートディレクター )

大塚いちお  (東京都在住 イラストレーター・アートディレクター )

1968年上越市生まれ。イラストレーター・アートディレクターとして、テレビ、CMなどのイラスト・デザインを手掛ける。子ども番組「みいつけた!」(NHKEテレ)アートディレクションを担当。連続テレビ小説「半分、青い。」(NHK)タイトルバックイラストなど。子ども向けのワークショップも多数開催。2005年に東京ADC賞受賞。東京造形大学特任教授。
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