SDGs de はぐくむコラム

子どもを愛したい・・・夢を求めた第三の居場所

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「学校」でも「会社」でも「家」でもない第三の居場所。たくさんの人がいて、色々な価値観があって、その中で自分は大事なひとりの人間なんだって感じられる場所。

そんな居場所「ドリームハウス」をつくりたいと思ったのは、26歳。生後6ヶ月と、2歳の娘たちの子育て真っ只中のときでした。デザイン系の専門学校で建築を学び、社会に出て、意気揚々の未来を思い浮かべていた23歳の頃結婚して24歳で出産。突然、子育てが始まりました。

子育ては驚きの連続でした。こんなに自分の時間がないなんて…。こんなに重労働だなんて…。朝から晩まで同じことの繰り返し。泣き声に耳をふさぎ、食事も睡眠もトイレもお風呂もすべてゆっくりできない毎日。何より、ひとりで子育てをしなければならないことがつらかった。

家で子育てしながら、昼間一緒に笑える大人がいないこと。夫に弱音を吐いても24時間密室育児の大変さはなかなかわかってもらえないこと。外に出れば、ちゃんとしないといけない…、世間の目が気になって、常に気が張った毎日でした。良いママじゃないのに、良いママの仮面をかぶって。自信がなくなり、私が私でなくなっていったのです。弱音を吐ける場所を探しながら、心の中ではいつも、「助けて…助けて…」と叫んでいました。
そんな毎日が続いていたある日、イライラを子どもにぶつけてしまいそうになった瞬間がありました。悲しそうな長女の顔を見て「あ〜、このままだと自分の心もこの子の心も死んでしまう」と思いました。そのときに浮かんだのが、今のドリームハウスの姿でした。
私らしくいられるところ。弱音を吐いても、こんなダメな私でも、共感してくれて、話を聴いてくれる人たちがいるところ。そして年齢も価値観も違う人たちの集まりの中で、我が子を育てたいと思いました。同時に、私自身も多くの人と出会いながら成長していきたいと思ったのです。
そんな理想を胸に、同じ思いの20人のママと共に1999年、28歳のときに一軒家を借りてドリームハウスを開館しました。子育て中のお母さんをサポートする「第三の居場所」です。私が探していた「第三の居場所」は、他のママたちも探していた場所でした。 初めて訪れる人は年平均100人に上り、20年でのべ2000人位でしょうか。

ドリームハウスの利用者の皆さん

1日10組~15組のお母さんと子どもがドリームハウスを訪れます。毎日だったり、時々だったり…。思い思い必要なときに訪れています。一般的な子育てサポート施設では、お茶を飲む時間やおむつを替える場所など全て決められていますが、ドリームハウスには、特に決まったカリキュラムはありません。お母さんが昼寝をしてもいいし、子どもと離れたいときは、スタッフに委ねてぼ~っとしていてもいいし、自由な居場所ですね。ママたちの「実家」みたいな存在です。

子どもを愛せるようになりたい・・・、22年前の私の夢でした。子どもを愛しながら、慈しんで育てたいと願っていました。ドリームハウスでの満たされた毎日の中で、願いどおり私の夢は叶いました。成長した娘たちがあるとき、私の講演を聞き「ずっと愛されてると感じていたよ」と言ってくれて私は号泣しました。我が子が小さいとき愛せず、ずっと後ろめたかった気持ちが、娘たちの一言で救われました。そして、「娘たちを愛したい」と思っていたその想いこそが、愛そのものなのだと気づきました。そして子どもを想う愛のかたちが「第三の居場所」づくりそのものだったということも。
その娘たちも24歳と22歳になりました。娘たちとともに成長したドリームハウスは新たに2か所増えて、3か所になりました。それらも皆さんの「第三の居場所」になりますように……私の夢は続きます。

BSNラジオ「大杉りさのRcafe」4月20日放送予定

この記事のWRITER

新保まり子(新潟市在住・多世代居場所事業代表)

新保まり子(新潟市在住・多世代居場所事業代表)

1970年新潟市生まれ。子育て中の孤独感から1999年、育児中のママとともにママの心が元気になる毎日型の居場所・子育て応援施設「ドリームハウス」を新潟市西区に設立。2017年、多世代交流、障がい者の居場所確保をめざす企業も設立し、様々な地域で居場所作り応援。 2016年 県弁護士会 人権賞を受賞。現在: NPO法人がばじこ理事長 ドリームハウス代表 子守唄シンガー
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