SDGs de はぐくむコラム

一瞬で変わる人生

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2023年12月31日付で夫は出社最終日を迎えた。1月から年金生活になる夫とこれからの人生をどう過ごすか話した大晦日。

2024年1月1日(月)の新潟は雪もなく、おだやかな新年を迎えた。朝8時半に寺尾を出て、名古屋から来ていた次男と子ども2人をピックアップして恒例の弥彦神社初詣。参拝を終えて、これも恒例のこんにゃくを食べ甘酒を飲み、新年会のお酒を購入して弥彦を後にした。

帰りも混雑することなく寺尾の自宅につき、子どもたちとお昼ご飯を食べ、アニメをみたりしながら楽しんだ後、長男家族との新年会に向かうために支度をしていた。

16時10分、携帯から緊急地震速報の警報音がけたたましく鳴り、テレビからも警報音が鳴り響く。地震が来る…緊張が走る…小学校2年生と年中の子どもに覆いかぶさるようにしながらテーブルの下に潜り込む。

揺れ始め、すぐに止むだろうと思っていたがとんでもない。横揺れがどんどん大きくなり、家がきしむ音が激しくなり、このまま揺れ続けたらどうなるんだろうと、恐怖感が増し心臓の音が激しくなる。この子たちだけは守らなければとテーブルの下できつく抱きしめる。随分長く感じたがどれくらいの時間だったのだろう、やっと揺れが収まった。テーブルの下からはい出し、外を見ると景色は一変していた。

駐車場の3枚のコンクリートの板はそれぞれが持ち上がり、砂と水が各所から吹き出し、家のまわりの道路は元の形が分からないほど波打ち変形して、アスファルトは割れて隆起し、めくれて立ち上がっていた。一瞬のうちに変わり果てた景色に現実感を失う。

外に出ると、玄関アプローチは傾き歩こうとするとめまいがおきたようによろめく、周囲にはガスの臭いが漂っている。近所の人たちも外に出てきて、周りの景色の変化に驚き呆然としながらも、避難所へ行くかどうか話をする。

うちには15歳になる歩けない介護犬のヨークシャー・テリアがいる。避難所は難しいかもしれない。家が傾き水は出ないが、非常用の2リットルの水が12本ある。ガスと電気は通っている。灯油も大丈夫。夫と弟と相談して避難所には行かず一晩家で過ごすことにした。

余震も続いたが、少し時間がたって落ち着くと、子どもたちは大人たちの心配をよそに「お腹が空いた」という。そうだ、ちゃんと食べて元気をださなきゃ。お節をならべ、雑煮の汁を温めお餅を焼く。お正月料理は冷たいままでも美味しいし、作り置きもあるので非常時に役立った。

この場に子どもたちがおらず、一緒に被災しないことが一番なのだが、子どもたちがいたことで、この子たちを無事に名古屋に帰さなければと私自身の気持ちが引き締まり、子どもたちの恐怖心が緩和されるように明るく元気にふるまうことができた。大変な時でも、子どもの無邪気な笑顔は何にも代えがたく、大人にパワーをくれる。

次の日、お節の残りで朝ごはんを済ませてしばらくすると、長男が近くの駐車場まで次男親子を迎えに来てくれた。家の前の道路はマンホールの位置が動きその下は空洞になり、立ち上がったアスファルトに阻まれて車が入れないからだ。

次男親子は2日の夕方に名古屋行きの飛行機の切符がとってあり、ネットで調べると飛行機は定刻に飛ぶとのこと。その後、無事に新潟空港から飛び立ったと長男から連絡があった。長男が空港の帰りに私たちを迎えにきてくれ、その日から長男のところに避難している。両親が暮らしていた場所に、6月にカフェをオープンしていたが、今は私たちの避難生活の場となっている。おかげさまで温かく安心して過ごせることに感謝しかない。

今回の地震は、道一つ挟むことで地震の影響が大きく変わる。影響のないところもあれば、局所、局所に大きな被害がおきているところもある。町全体が被害にあったわけではないので、幹線道路はガタガタに波打っている箇所もあるが、遮断されることなく通っていて、買い物に制限もかからず店も稼働している。大きく被災した場所以外は、何事もなかったように動いている。

復旧は2日から始まり、お正月休みだろうに働いてくれた方々のおかげで、駐車場の車もかろうじて出すことができるくらいに道路も修復され、インフラも速く復旧した。インフラが復旧しても、敷地内の配管が大きく破損し、中に砂が詰まっている我が家は上下水道が全く使えない。

今回の地震のように局所にだけ被害が及んだ場合は、助けてくれる人たちがすぐ手の届くところにいるので心強く、全体に被害が及ぶよりもよいことなのだが、被災者は、みんなで頑張ろうというのではなく、「被災者を応援するよ、手伝うよ」と言う中で頑張ることになる。

避難しながらも少し日常を暮らし始めると、そこにはもう地震の話もなく、何事もないように日々が流れている。現在なす術もなく、今後の事を考える材料も持ち合わせず、痛みを共有できるのは近所の人たちだけ。その中で過ごしていると、自分が薄い膜の中にいるような不思議な感覚になる。日にちや曜日の感覚もあまりなく、もう3週間もたったのかとカレンダーをみて思う。

被災した寺尾の家に荷物を取りに行くと、玄関には門松がそのままあり、家も外構も手つかずのままそこにある。住む家がないという現実の中、まだこれからのことは何も考えられないが、大みそかに話していたこれからとは大きく変わることだけは確実だ。

 

* BSNラジオ 土曜日午前10時「立石勇生 SUNNY SIDE」の オープニングナンバーの後に「はぐくむコラム」をお伝えしています。
10月7日は、新潟市在住 にいがた子育ちステイション理事長 /子育て支援ファシリテーターの立松有美さんです。初登場です。お楽しみに!

この記事のWRITER

立松 有美(新潟市在住 にいがた子育ちステイション理事長/子育て支援ファシリテーター)

立松 有美(新潟市在住 にいがた子育ちステイション理事長/子育て支援ファシリテーター)

1960年新潟市生まれ。子育てをしながら公民館や女性財団で男女共同参画やファシリテーションなどを学ぶ。2015年、「にいがた子育ちステイション」を設立。2016年、新潟初の子ども食堂「にいがた ふじみ子ども食堂」開設。子育て支援ファシリテーターとして公民館の家庭教育学級やNobody’s Perfect等の親支援プログラムのファシリテーターとして活動。アンガーマネジメントファシリテーター 産業カウンセラー NPO法人日本ファシリテーション協会新潟サロン世話人 ほか
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