はぐくむコラム

見えない不安を見える安心に変えるために大切にしたいこと

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息子が小学校で、道徳の時間に「新型コロナウイルスの3つの感染症*」について学び、授業の感想用紙に、「コロナにかかるのは、やだ。」と書いて持って帰ってきました。9歳の子は、どんなことに”いやだ”と思ったのでしょう。

学校現場はもちろん日本社会全体として、コロナ禍でより顕在化したモノゴトがあるように感じます。例えば、「みんな同じ」をよしと思うことや「迷惑をかけてはいけない」と思ってしまう風潮は、安心・安全を目指した感染症対策を越えた圧力があるようにも思います。さらに、学校現場はリスクマネジメントでさらに多忙を極めています。もちろん、最上位の目的は「命を守ること」であり、そのためにみんなが必死です。でも、ときに、日本の完璧主義は本末転倒の結果を招いている気がしてなりません。

先日、「世界一幸せな国」と言われるフィジー共和国に移住して14年になる日本人の友人と話をする機会がありました。フィジーには、ケレケレと呼ばれる文化があります。「分け与えること、共有」という意味を持つその文化は、フィジーの共助社会の特徴をよく表しているように思います。子連れでスーパーに行けば、店員さんが、「抱っこしておくから、ゆっくり買い物しといで。」とニコニコと手を差し伸べてくれるといいます。ないものはある人が補ってあげればいい、困ったときはお互い様、そんな社会の中で育つ子どもたちはたくさんの大人を信頼して生きていることでしょう。

写真1:太陽の光はフィジアンの元気の源! photo by 永崎 裕麻

話の中で特に印象的だったことは、「日本人は幸せになるために行動するのではなく、不幸になりたくないというモチベーションで行動するのではないか。」という友人の視点です。コロナ禍のトイレットペーパー買い占め騒動も、「みんなで我慢」の日本社会の中で不謹慎狩りをしたがるのも、正解を求めて必死に情報収集をすることも、「自分が不幸になりたくない」からなのかもしれない、と思えました。私たちが「安心」するためにとっている行動は、本当に社会の安心となっているのでしょうか。

ところでフィジーでは、国内でコロナ感染者が出るとすぐに国をロックダウンしました。観光業で成り立っているため、コロナ禍で失業に追い込まれた人もたくさんいたそうです。それでも、危機に対してもみんなあわてふためくのではなく、次へ切り替え「みんなで危機を乗り越えよう、という精神で、誰が得をして、誰が損をしているか、なんて気にしないんだ」と友人は話していました。ここにわたしたちが「幸せになるマインド」がある気がします。

写真2:夕日が沈むのをゆっくり眺めるその時間が豊かさそのもの。photo by 永崎 裕麻

コロナ禍では、これまで潜在していたモノゴトがより表面化し、社会の脆弱性や課題を知ることにもなりました。情報を集めに必死になる日本人、人とのつながりをピンチの時こそ生かそうとするフィジー人、もちろん、どちらも一概には言い切れませんが、本当に「安心」を生み出したのはどちらだったかと考えると、幸せの本質が見えてきます。「困った時はお互い様」の精神は、withコロナ社会にも大事にしていきたいですね。

*新型コロナウイルスの3つの感染症

https://www.jrc.or.jp/saigai/news/200326_006124.html(日本赤十字社)

*12月4日(土)BSNラジオ 朝10時~「立石勇生 SUNNY  SIDE」で放送予定です。

この記事のWRITER

関 愛(長岡市在住/にいがたNGOネットワーク国際教育研究会RING企画副委員長)

関 愛(長岡市在住/にいがたNGOネットワーク国際教育研究会RING企画副委員長)

高校教員時代に、日本国際協力機構(JICA)による教師海外研修に参加し、ブータン王国へ。その後も、国内や海外へ飛び回りながら知見を広げ、国際理解教育/開発教育の実践力向上を図ってきた。現在は、新潟県キャリア教育連携促進事業(出前講座)や総合学習コーディネーター等を通じて、学校の「外」から教育に関わりながら“持続可能な社会の創り手“を育むべく活動を展開している。旅好きな性格。家庭では、小学生男児の母として、子育てという「人生の旅」を楽しみ中。
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