SDGs de はぐくむコラム

直江津の公園で平和を考える

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新潟でも「夏休み」の季節になりました。海に山に、楽しい日々を過ごす子どもたちの姿が目に浮かびます。引率する大人も、子どもたちとのかけがえのない、楽しい時間にしたいですね。

さて、今日は、上越市直江津にある、「平和」を考えるスポットを一つ紹介します。レジャースポットではないのですが、夏休みに時間があれば、ぜひ立ち寄ってみていただけたらと思います。

2024年7月18日、一人の女性の訃報が新潟日報に掲載されました。上越日豪協会の元会長、石塚洋子さんが、94歳で亡くなられました。「非戦の願い託して」という見出しがついています。日本とオーストラリアの友好に尽力してきた石塚さんが、なぜ「非戦」を訴えてきたのか。2019年8月、私は当時の学生たちとともに、当時上越日豪協会の会長だった石塚さんにお会いして、お話をうかがいました。そのことを思い出しつつ、上越・直江津の知られざる出来事をご紹介します。

石塚洋子さん

2019年8月 石塚さんと学生たち

上越市・直江津には戦時中、捕虜収容所がありました。オーストラリアを含む連合国軍の兵士たちが、マレー半島などの南方戦線で捕虜となった後、直江津に収容され、労働に従事させられる中で「虐待」を受けました。その結果、60人の捕虜が亡くなっています。また、この収容所で働いていた日本人の職員(警備員)が、終戦後、BC級戦犯として横浜で裁判にかけられ、8人が処刑されています(しばしば、「法務死」と表現されています)。捕虜収容所は直江津だけでなく新潟市内を含む各地にあり、中には広島・長崎の原爆で亡くなった人たちもいます。日本国内で捕虜がどんな待遇を受けていたのか。戦後、「横浜裁判」で判決がくだされていて、ひどい待遇を受けていたことはわかっていますが、一方裁判では、「無実の罪」を着せられて処刑された日本人の職員もいたといいます。

平和友好像の前にて

オーストラリア兵捕虜死没者銘板碑

この出来事を忘れないようにと、捕虜収容所のあった場所にある上越市の平和記念公園に、日本とオーストラリアの友好を訴える像が設置されています。公園の中には「平和友好像」、両国の犠牲者を弔う慰霊碑があり、展示館ではこの地で起きた悲劇について詳しい展示を見ることができます。捕虜の待遇が厳しいものであったことを示す資料とともに、戦後「裁き」を受けた人々が「どうして私が、、、。」という思いを綴った手紙なども展示されています。

この場所の設置を各方面に働きかけ、その後も両国の交流の先頭に立ったのが、今回亡くなった石塚洋子さんと、夫の正一さん(故人)でした。きっかけは直江津の高校に届いた、英文の手紙でした。1978年、当時英会話サークルに参加していた石塚さんは、元オーストラリア兵捕虜から送られた手紙を読み、文通を続けながら、かつて自分が学生だった時代に駅で見かけた捕虜たちの姿を思い出します。「あのとき敵国の捕虜だと思って、みていた人たちは、厳しい収容環境・労働環境の中で命を落としていたのか」と。そしてまた、調べていくと、必ずしも自分の責任とはいえない状況もありながら、BC戦犯の容疑で裁きを受けた、直江津の人々がいたこともわかってきます。直江津にこの「悲劇」を記録する場所をもうけて、後世に伝えていこう。戦争の記憶が風化する中で、それに抗うように、協会の皆さんは活動を続けていらっしゃいます。

戦争の犠牲者に、敵も味方もない。石塚さんをはじめ、上越日豪協会の人々はそう考えてきました。しかし、元捕虜の人々やその遺族の思いは、もっと複雑だったようです。処刑された日本人たちと犠牲になった捕虜、両者を同じように「戦争の犠牲者」ととらえることはできませんでした。このこともあって、元捕虜の慰霊碑と刑死した日本人の慰霊碑は別々に建てられ、2つの間には距離が置かれています。上越の人々は、元捕虜の犠牲者、捕虜虐待の罪で処刑された日本人もどちらも慰霊する「平和の集い」を行ってきました。折々に訪れていた元捕虜の人々は、日本人の慰霊碑に手を合わせてくれることはなかったといいますが、最近は遺族の方々は、両国の犠牲者を弔う姿勢に変わりつつあるともうかがいました。

捕虜が収容されていた時代を生き、後にそこで起きていたことを理解した石塚さんは、日本とオーストラリアの平和のために、長く努力されました。石塚さんがこの世を去られた今、私たちは何をすべきなのか。記憶を留めながらも、互いの先人たちにおきた「悲劇」を理解し、両国国民の相互理解を深めていくべきでしょう。上越日豪協会の皆さんも、高齢化が進み、担い手が不足しているときいています。この公園が、みんなが喜んで訪れる「楽しい場所」になることはないと思いますが、何かのきっかけで人々が知り、訪ねていくことができるようであってほしいです。

平和記念公園は直江津のフェリーターミナルの近くにあります。そんなに大きな公園ではありませんが、重苦しい雰囲気が漂っているわけではなく、関川と保倉川が合流し、日本海に流れていく様子を眺めることができます。ちょっと立ち寄って、モニュメントを眺めるだけでも良い時間になるかと思います。

* BSNラジオ 土曜日午前10時「立石勇生 SUNNY SIDE」の オープニングナンバーの後に「はぐくむコラム」をお伝えしています。
7月27日は、新潟市在住 敬和学園大学人文学部国際文化学科教授の一戸信哉さんです。お楽しみに!

http://立石勇生 SUNNY SIDE | BSNラジオ | 2024/07/27/土 10:00-11:00 https://radiko.jp/share/?sid=BSN&t=20240727100000

この記事のWRITER

一戸信哉(新潟市在住 敬和学園大学人文学部国際文化学科教授)

一戸信哉(新潟市在住 敬和学園大学人文学部国際文化学科教授)

青森県出身。早稲田大学法学部卒業後、(財)国際通信経済研究所で情報通信の未来像を研究。情報メディア論の教鞭を取りながら、サイバー犯罪・ネット社会のいじめ等を研究。学生向けSNSワークショップを展開。サイバー脅威対策協議会会長、いじめ対策等検討会議委員長などを歴任。現在:敬和学園大学人文学部国際文化学科教授。
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