SDGs de はぐくむコラム

戦争の歴史  子どもへのフィルターは

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今月、夏の研究出張で、中国の東北部の、黒龍江・吉林・遼寧の3省を訪ねました。いわゆる「旧満州」です。「戦争の記憶」をとどめる場所の訪問が中心で、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館(「731部隊」/関東軍防疫給水部本部跡)、偽満皇宮博物院(旧満州国皇宮)、二百三高地など、日本人が厳しく断罪を受けるような場所、戦争の悲惨さをリアルに感じることのできる場所を多くたずねることになりました。731部隊の「人体実験」については、あまりの残酷さゆえか、日本で語られることは多くありませんが、中国ハルビンでは着々と世界遺産申請に向けた準備が進んでいて、日本の「罪証」を並べつつも、非常に客観的な展示内容が整えられていっています。二百三高地は、日露戦争の激戦地として知られ、「爾霊山」と書かれた慰霊碑がたっていますが、脇にある説明を見ると「日本軍国主義による対外侵略の罪の証拠と恥の柱」という日本語での説明が書かれています。今の中国の人たちからみれば、日露戦争は、「日本とロシアが『我々の領土』で勝手に始めた迷惑な戦争」だったわけで、この地で散った日本の兵士たちに思いをはせようとこの地を訪れた日本人は、冷水を浴びせられることになります。

帰国後、知人と話をしているときに、二百三高地の話題になったところ、「さだまさしの曲が流れてきますね」と言われ、最初意味がわかりませんでした。1980年公開の映画「二百三高地」で、さだまさしさんが歌った「防人の歌」のことでした。当時は「戦争賛美」の映画だという批判もありつつ、ヒットした作品です。私の両親は、戦争を直接扱った生々しい映像を子どもには見せないようにしていたようで、当時小学生だった自分は、この映画を見ることなく、「二百三高地」にもさして関心持つこともなく、育ってきたことに気がつきました(もちろん、この歳になっても気が付かなかったので、いまさら親のせいだというつもりはなく、結局は自分自身の不勉強だとは思います)。

さて、今の自分自身は、戦跡をたずねる調査をするぐらいですので、「戦争」に関わる資料を読んだりドキュメンタリーを見たりする機会は多く、家でも映像を見ていることがあります。現在幼稚園に通う我が子は、「こわい」シーンのある映像が苦手で、「ゴジラ」「ウルトラマン」などの戦闘シーンがある番組は一切見ようとしませんし、「緊迫感」のある映画・ドラマもいやがります。まして、自分がみるような「戦争」に関わるドキュメンタリーは、中身もよくわからないだけでなく、「こわい」BGMが流れてきますので、当然見たいとはいいません。遺体の映像が出てくるような生々しいドキュメンタリーは親の方が避けますし、そこまで生々しくなくともまだ積極的に見せようとはしていないのですが、たまたま横にいて、興味を持って見始めた時に、どこまで見せていいものか。その「さじ加減」を考えることが多いです。もちろん、本人がいやがるものを無理やり見せることはないのですが、興味をもって「これなんの話?」ときいてきたときにどうするか。

たとえば、前回のコラムで、AIによる写真のカラー化「記憶の解凍」という話を書きましたが、その際に広島市の爆心地付近で、原爆投下以前に撮影された写真のカラー化されていることにもふれました。この話題はときどきニュース番組の特集でもとりあげられていて、娘と一緒に見たことがあり、その際に質問されて「戦争」や「原爆」についても説明したことがあります。その後、「原爆」に関する別の映像をみているときにも、横にやってきた娘が「この話知ってるよ。この前話したよね。」といい出しました。どこまで深く理解しているかはともかく、少しずつ、広島に原子爆弾が落とされて何が起きたのかを理解しはじめたようです。今回の中国でみた戦跡については、まだ何も話していませんし、聞かれてもいません。731部隊については、まだ詳細を話すつもりはないのですが、二百三高地や「ラスト・エンペラー」愛新覚羅溥儀については、聞かれたら話してみようかと考えています。

インターネットでは、子どもも大人も、自分の知りたい情報を探せるというだけでなく、おすすめの情報を先回りして自分たちに示してもらえるようになりました。動画サイトで関連動画をクリックしているうちに、子どもたちはどんどん新しい情報にふれていますし、大人はそれを見て、気をもんでいます。一方、「戦争」の歴史、社会の仕組みなどを、子どもたちにいつどのように教えるべきか。多くの子ども達が、ネットの「関連動画」から学ぶようにも思えません。昔も今も、大人たちには悩みや迷いがあります。学校でいつどのように教えるかという問題ももちろんありますが、それと同じないしそれ以上に、家族の興味関心がどこにあるか、家族がいつどのように子どもに情報を与えるか、家族のもたらす情報環境の影響は大きいでしょう(「反面教師」になることもあるでしょうが)。

現代社会は自ら学ぶための情報にあふれていますが、人々は自分の関心事にしか観測範囲に入らない「フィルターバブル」の中にあると言われます。身近な大人が子どもたちに、どんな羅針盤を示すのかは、ますます大事になってきているといえそうです。私自身も、試行錯誤を繰り返しながら、模索していこうと思います。

この記事のWRITER

一戸信哉(新潟市在住 敬和学園大学人文学部国際文化学科教授)

一戸信哉(新潟市在住 敬和学園大学人文学部国際文化学科教授)

青森県出身。早稲田大学法学部卒業後、(財)国際通信経済研究所で情報通信の未来像を研究。情報メディア論の教鞭を取りながら、サイバー犯罪・ネット社会のいじめ等を研究。学生向けSNSワークショップを展開。サイバー脅威対策協議会会長、いじめ対策等検討会議委員長などを歴任。現在:敬和学園大学人文学部国際文化学科教授。
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