自己紹介
昨年まで東京で妻と娘2人の4人家族で暮らしていました。私は小学校勤務、妻は病院で勤務していました。妻の仕事が忙しく、早朝から夜中まで働いていたので、家のことは私がしていました。元飲食店勤務をしていたので、家事はあまり苦にならず続けていました。
新潟に帰ってきた
長女が小学校入学しての6月にグランドで6年生とぶつかり、鎖骨骨折しました。一カ月間、登下校の送り迎えをしました。ある日、登校途中に娘から「学校で一言も喋らないんだ。」と言われました。とてもショックでした。保育園の時の明るい姿と比べると想像もつかなかったからです。新しい環境になり、友達関係など様々なことに適応するために、娘はそうするしかなかったんだと思います。
「無理して学校行かなくてもいいよ。学校行かない子たくさんいるから。」と伝えると、お家で1人でいる方が嫌だと。それなので娘の選択肢は無理でも学校へ行くしかなかったんです。その後も泣きながら嫌いや通っていました。
娘がどんな選択もできるような環境を作ってあげたいと思い、新潟に帰ってきました。
自然の中の体験活動
新潟に来てすぐ娘達が「道路の脇や公園に茶色のものが生えている!」と。見てみるとそれはつくしでした。人生初のつくしに感動していました。子ども達には未体験な事がたくさんあると気付きました。
まず友人の農家さんにお願いして、田植え体験をさせてもらいました。しかし、田んぼの土の触感に慣れず、ほぼ入れませんでした。しかし、田んぼの横の用水路に入り、楽しそうにカエル探しをしていました。
弥彦山に登山しました。娘は人生初登山。スタートして5分。「辛い、帰りたい。」と言い始めました。すれ違う登山者に挨拶され、戸惑いながら仕方なく歩いていました。途中見たことのない花を見つけたり鳥や虫と出会いがあったりと、何か感じるものがあったようです。頂上に着くとやり切った達成感で「楽しかった」と。その日から誰とでも挨拶できるようになりました。
家族の時間と家事・育児
東京にいる時はなかなか家族4人の時間を作ることができませんでした。新潟に来て家族との時間がとても増えました。妻の実家は新潟ではありません。環境の変化が大きく、毎日車の運転がとても負担そうでした。
「少しでも負担を減らしてあげたい。」「新潟に来てもらっている」という思いがあったので、東京の時の生活のように家の事は自分がやっていました。
新しい気付き
妻に「寂しい。」と言われました。こっちに友達がいない寂しさは分かりましたが、家族でいる時間も多くなったし、仕事もしているし、仕事や趣味で東京にも行ってました。それなので「寂しい」の意味が理解できませんでした。
話し合った結果、家事に参加していないことが原因で、家庭内で疎外感を感じているとが分かりました。「妻のために身の回りのこと全部やってあげている。」という考えが、「家事を全部とってしまい、家庭内の居場所もとってしまっている」結果になってしまっていたことに気付きました。
夫婦で家事育児する意味を知りました。
体験を生かして
学校に行きたくない子の親の気持ちを経験し、子ども達のため、親御さんのためにできることをしたいと思い、不登校支援や子どもの居場所づくりなどの活動をしています。
また、自分の家事育児の体験が誰かの役に立つのであればと思いファザーリング・ジャパンの活動にも参加させていただいています。
これからも子ども達や親御さん、地域のために活動していきます。
* BSNラジオ 土曜日午前10時「立石勇生 SUNNY SIDE」の オープニングナンバーの後に「はぐくむコラム」をお伝えしています。
6月28日は、初登場!ファザーリングジャパンにいがた 講師兼ファシリテーターの茨木光一さんです。お楽しみに!