SDGs de はぐくむコラム

子ども達をとりまく❝リアル❞と❝バーチャル❞

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11月の終わり、神奈川県の鎌倉女学院高校で、AIによる対話技術を実装した3DCGの高校生「Saya」と、高校生が対話する実験が行われ、その様子がニュースで紹介されました。今回はこの「Saya」の話をきっかけに、「現実とネット空間」「生身の人間とアバター」それらの関係はどうなっていくのかを考えてみたいと思います。

“まるで実写”の3D女子高生「Saya」、声を得て女子高の授業に登場 会話を通して「AIとは何か」教える…。メディアもこの「Saya」をこう伝えていました。

「透明感のある肌、ふんわりとした髪の毛など、実際に存在する女子高校生としか思えない架空のキャラ”Saya”。彼女はCGアーティストユニットがゼロから生み出したものだ。このSayaとの会話を通してAI技術を学べる体験型授業「1日転校生Saya」が、11月28日に鎌倉女学院高校(神奈川県鎌倉市)で開かれた。博報堂アイスタジオと博報堂は今回、他者が話す内容を認識し、返答する新技術「Talk to Saya」をSayaに実装。Sayaが生徒と会話できるようにした。授業にはSayaと同じ高校2年生が参加し、Sayaと話しながらAIの基礎を学んだ。」  ITmedia NEWSより

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1911/30/news009.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=facebook

調べてみると”Saya”は2015年に開発された3DCGで、目の前にいる人物の表情に応じたきわめて自然な表情を再現しているといいます。画面の前には、自然な表情の3DCGの高校生がリアルな表情で現れ、「見つめられると恥じらって目をそらす」「大きな動きをされるとビクッとする」「笑顔を向けられるとはにかんだ笑顔になる」など、こちらの動きに合わせた行動をするそうです。今回の実験では、このSayaに「Talk to Saya」という対話エンジンが加わり、人間と対話するようになりました。生徒たちと「友達とは何か」について対話したグループワークを踏まえて、Sayaは学習し、理解した内容をまとめて発表したという記事のまとめになっています。

3DCGに機械学習を加えることで、自然な「対話」が実現されるわけですが、先生からは冒頭で、

(1)AIは人間の考え方や行動をまねる技術であること

(2)最初から賢いわけではなく、大量のデータを学習してはじめて賢くなること

この2点が説明されます。人間に限りなく近づいていくSayaは、おそらく人間からの愛情を受け止める存在になっていくのだと思いますが、人間のような人格は持っていません。Sayaは、AIスピーカーの進化系、GUI(グラフィックインタフェイス)として、つまりリアリティのある人間の姿をした「メニュー画面」の進化系として考えられたようです。人間の代わりをめざすものではないのですが、人間との対話に準じる機能を持ったものとして、期待されてもいるのでしょう。

もうひとつ、別の話題。11月に新潟市で開催されたにいがた「デジタルコンテンツ推進協議会」のデジタルコンテンツセミナーで関心を集めたのが、VTuberなどのアバターの世界です。こちらは、バーチャルなキャラクターになりきって、生身の人間が新しい姿に獲得していくというものです。

新潟の企業、シーエスレポーターズの三上昌史さんがプロデューサーをつとめる「東雲めぐ」というキャラクターは、バーチャル空間で活躍する高校2年生なのですが、こちらはAIではなく、(おそらく)日本のどこかにいる本物の高校生(少なくとも実在の人物)で、対話の相手と軽妙なやりとりを展開します(したがって、誰でもなれるものではないようです)。

© 2019 ©うたっておんぷっコ♪/©Gugenka®

本物の高校生が姿を表すことはないのですが、「東雲めぐ」というキャラクターは、ファンを獲得し、バーチャルな空間でのおしゃべりなどのパフォーマンスを配信、マルチな活動を展開していきます。お正月には、タイアップするコンビニのおせちを買ったユーザと、一緒におせちを食べるイベントを行うそうです。「東雲めぐ」に限らず、VTuberの世界は、表にバーチャルなキャラクターを出すわけですが、後ろには生身の人間がいることになります。生身の人間が男性なのか/女性なのか、その年令はどうなのか、実はよくわかりません。おそらく、ボイスチェンジャーなどを間に入れれば、年齢性別などをかえることも可能でしょう。ただ出発点は、生身の人間が新たな人物像を獲得して、それを使ってバーチャルな空間で活動することにあります。そしてそのバーチャルな空間は、ときにリアルな空間に浸透してきて、たとえばファンの現実の「お正月」とクロスオーバーし、両者を行き来することになります(「おせち」も行き来するのでしょう)。

こうした事例を見ていくときに私がよく思い出すのは、1996年に公開された森田芳光監督の映画「ハル」です。深津絵里さんと内野聖陽さんが主演のこの映画は、パソコン通信で文字だけでやり取りする人々の関係を描いたものです。主人公の二人が、最後に駅で会って言葉を交わすシーンは、当時すでにネットユーザで、チャットで知らない人たちと対話したことのある自分には、非常に示唆的なものでした。文字だけでわかりあった2人は、そのまま文字だけの関係にはとどまらず、生身の人間同士で向き合った。それをどう解釈するべきだったのか、もう一度映画を見直さなければわかりませんが、結局私達は、文字だけの存在では飽き足らず、リアルな生身の人間との接触にためらいながらも踏み出そうとするのではないか。そのように考えた記憶があります。人々が生身の自分の姿とどうつきあい、どう離れようとするのか。映画の公開から23年がすぎて、文字だけで人がつながる世界とは、かなり状況は変わりましたが、人々の悩みは変わっていないように思います。

「現実世界」はどうでしょうか。学校ではいまも、容姿のことで悩む子どもたちがいます。登下校時に子どもが、夜遅くに女性が、路上で犯罪被害に遭うリスクは、今も存在します。SNS上で知り合った人同士の間でも、さまざまなトラブルが存在します。SNSで自分の「顔出し」をするかどうかは、多くの人々にとって難しい選択です。自分のことを相手にどこまで話すか/どこまで晒すかを、みんなそれぞれの考えのもとでコントロールしています。でも何も相手に見せなければ、掲示板の「名無しさん」と同じですので、誰にも認めてもらえません。

リアルとバーチャルといわれる空間は、二分割されるべき存在ではないのかもしれません。人々は2つの空間を都合よく行き来しながら、自分の快適なコミュニケーション空間を作って、人付き合いの煩わしさからも解放されるのでしょうか。事例を紹介しながら感覚がなかなかついていかない私ですが、いずれわかるときがくると信じて、状況を見ていきたいと思います。

「大杉りさのRcafe」12月21日(土)放送予定

 

この記事のWRITER

一戸信哉(新潟市在住 敬和学園大学人文学部国際文化学科教授)

一戸信哉(新潟市在住 敬和学園大学人文学部国際文化学科教授)

青森県出身。早稲田大学法学部卒業後、(財)国際通信経済研究所で情報通信の未来像を研究。情報メディア論の教鞭を取りながら、サイバー犯罪・ネット社会のいじめ等を研究。学生向けSNSワークショップを展開。サイバー脅威対策協議会会長、いじめ対策等検討会議委員長などを歴任。現在:敬和学園大学人文学部国際文化学科教授。
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